いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

搗きたての餅のされゆくぬくみかな(あ)

【きょうの一枚】出番を待つ臼と杵。

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 12/27は餅搗きをやるぞと前から言ってあって、ためにママはきょう一日休みをとっていた。が、孫娘が小田原のバスケの練習試合に行きたいと言い出し、ママがクルマで孫娘を小田原まで送り迎えすることになった。孫娘はいまだに小田原時代のバスケに未練があるらしい。ママも大変だ。たまの休みもこうして子どもに振り回される。
 で、餅搗きはママと孫娘が帰ってきてから行うことにした。
 ママと孫娘が帰ってきたのは午後2時近く。二人の顔を見てからもち米をせいろに入れたから、たった一臼だけだけど、搗き上がりも自ずと夕方にずれ込んでしまった。
 というわけで、きょうの晩御飯はお餅。きな粉餅、納豆餅、大根おろし餅、磯部餅、お汁粉を用意した。これにあとはたくあんか白菜の浅漬けがあれば申し分なかったが、あいにくそちらは用意し忘れた。
 だけど、搗きたての餅って、どうしてあんなに旨いんだろう。最高の贅沢だね。
 いろいろ切り詰めた生活は息苦しいには違いないが、年に一度とはいえ、こうして孫たちと搗きたての餅を頬張る至福は何物にも替えがたい。ありがたいことだと思う。
 一年後も同じことができるだろうか。最近はよくそんなことを思う。届いたばかりのもと同僚の訃報も影響しているだろう。一歩一歩確実に寿命に近づいていることを思わないではいられない。
 人はいつかは死ぬ。世に名を残そうが残すまいが、例外なくその日はやってくる。ただ、その日がいつかは誰にも判らない。人が、誰の子として、いつこの世に誕生するか判らないように。
 私は死そのものを怖いと思ったことはない。ただ、生きているうちにやりたいことがあって、それをやり残して死を迎えるのが怖いだけだ。悔いを残すような死に方はしたくない。与えられた人生を楽しみ尽くすこと、それが今の私の理想とするところなのである。


【書】「回光」かいこう(No.925)

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 「①光をめぐらす。②照り返し。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「回」は、水のうずまくさまをかたどる。ひいて「めぐる」意を表す。
 「光」は、人が頭上に火をのせたさまで、火がてらす、「ひかり」の意を表す。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 50(No.367)

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 そうか、『吾輩は猫である』の挿絵も50作を数えるか。これまでいろんな猫を描いてきたけど、描いても描いてもちっともうまくならない気がする。だいたい50回くらいでたくさん描いたつもりになっているのがお門違いだ。ちっともうまくならないのはそのあたりの心の甘さが要因なのだろう。
 背景に「水彩の雨雫」をぼかして入れた以外は、すべて「Gガッシュ」で描いた。 


【タイムラプス】12月27日(月)7:06〜9:10の伊豆長岡の空。30秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10227601550526526/?d=n


【新型コロナ】12/27(月)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→263(前週同曜日比 +86)
重症者数→38(前日比 +1)
累計死亡者数→18,386(前日比 ±0)