「近世の小説はほとんどが挿画を持っている」。
十返舎一九・恋川春町・山東京伝……。
何が言いたいか。
もっと挿画に気を配りたいと言いたい。
もっと言えば、文学は文学でも「絵を持った文学」を味わいたい。
少年少女時代にあれだけ情熱を燃やした絵画がいつのまにか隅に追いやられ、活字に取って代わられている。それは見るに忍びない。なんとかして絵の復活をかなえてやりたい。そう思って始めた描画だった。
だけど、うまくいかない。第一、何が上手い絵で何が下手な絵なのかが判らない。判らないながら描いている。
要するに、好みの問題なんだろうな。上手い下手は、好みの問題。
だから、思ったことを好き勝手に描く。そして、それが自分の心にすとんと落ちるかどうかで判断してる。
【書】『おくのほそ道』92(かゞの国1)(No.1,950)
「くろべ四十八か瀬とかや。数知らぬ川をわたりて、那古と云浦に出。担籠の藤浪は春ならずとも、初秋の哀とふべきものをと、人に尋れば、是より五里、いそ伝ひして、むかふの山陰にいり、蜑の苫ぶきかすかなれば、蘆の一夜の宿かすものあるまじと、いひをどされて、かゞの国に入。 わせの香や分入右は有磯海 」
(訳:黒部川四十八か瀬とかいうが、それらを始めとして、いく筋もの川を渡り、歌枕の那古という浦に出た。これも古歌に名高い担籠の藤は、花の季節の春でなくても、いまの初秋の趣も一見の価値はあるはずだと。人に道を尋ねると、「担籠は、ここから五里ばかり、海岸沿いに歩いて、それから向こうの山陰にはいったところですが、漁夫の粗末な家が少々あるだけですから、一夜の宿を貸してくれるものもありますまい」とおどかされ、担籠へ行くのはあきらめて、加賀国に歩みを進めた。 わせの香や分入右は有磯海(早稲の香のする田中の道を踏み分けるように歩いて、ようやく越中と加賀の国境の倶利伽羅峠についた。これから加賀国に歩み入るのだが、峠の上から見ると右手に有磯海が白く望見される) )
【昭和の風景】津軽弁(No.650)
絵手紙。「なんぼ しっぺ みがん だべ。」
「なんと すっぱい みかん だこと。」の意。
【タイムラプス】令和6年11月5日(火)7:36〜9:50の伊豆長岡の空。32秒。
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