いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

思ひ出の右往左往や年の果(あ)

 今年も今日で終わり。今日は大晦日。

いろんなことがあったけど、一言で言えば、新しい出会いがたくさんあった年と締めくくれるか。

それもこれも、私がまだこの世に生き残っている証左だな。

出会いがあれば別れもある。出会いの数だけ思い出があり、別れの数だけ思い出が消える。

この時代に過ごした仲間が、一人消え二人消え、そして消えれば二度と会えない。

寂しい。だけど、仕方がない。人間には神が決めた寿命がある。

その寿命に従って生きていくしかない。

その中にあって、新しい出会いができたことは喜ばしいことである。その喜びを噛み締めながら、新しい出会いを大切に育んでいこう。

 

【書】『笈の小文』15No.2,006)

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「弥生半過る程、そゞろにうき立心の花の、我を道引枝折となりて、よしのゝ花におもひ立んとするに、かのいらご崎にてちぎり置し人のい勢にて出むかひ、ともに旅寐のあはれをも見、且は我為に童子となりて道の便りにもならんと、自万菊丸と名をいふ。まことにわらべらしき名のさまいと興有。いでや門出のたはぶれ事せんと笠のうちに落書ス。 乾坤無住同行二人  よし野にて桜見せふぞ檜の木笠  よし野にて我も見せふぞ檜の木笠 万菊丸」
(訳:三月なかば過ぎるころ、そぞろに浮かれる心が、私を旅へと誘い出す道案内となって、吉野の花見に出立しようとした時、あの伊良湖崎で約束しておいた人が、伊勢で私と落ち合い、「旅の悲しさ、苦しさをともにさせていただきましょう、その上わらべとなって道中の手助けもいたします」と言い、旅中の仮名に万菊丸という名を自分でつけた。まことにわらべらしい名で、大層おもしろい。それでは出立にあたって、ちょっとたわむれごとをしようと、笠のうちにこんな落書きをした。 天地に住みか定めず旅するこの二人。  よし野にて桜見せふぞ檜の木笠(吉野山で桜の花を見せてやろうよ、檜笠よ)  よし野にて我も見せふぞ檜の木笠(吉野山で私も桜の花を見せてやろうよ、檜笠よ)    万菊丸  )


【昭和の風景】津軽弁(No.706)

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「わんどど おめだぢど いしょじに いぐべし。」
「私たちと あなた方と 一緒に 行きましょう。」の意。


【タイムラプス】令和6年12月31日(火)6:31〜9:00の伊豆長岡の空。36秒。

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