『松尾芭蕉集』解説の続き。
「晩年の芭蕉が胸の内に抱いていた風雅の理想図を描いたのが『おくのほそ道』であるからには、それが旅の事実と相違したり、なかったことを付け加えたり、大胆な省略をしたりしている」。
これって、好き勝手に脚色して読者に面白おかしく楽しんでもらう工夫をしているということじゃないの?
作家じゃん。芭蕉は、作家になりたかったのか。
そこで、嵐山光三郎の出番。
確か書籍に「芭蕉」扱った電子書籍があるはず。そのことを思い出してiCloudをがさごそやったら、あった。『芭蕉紀行』(新潮文庫)。
そこに収録されている『笈の小文』を読んでみた。さすが学者の文章より柔らかくて読みやすい。電子書籍だからiPhoneで読める。ベッドに潜り込んで構えず読めるから気楽だ。
とうとう、この日がやって来た。
これをやりたくて神奈川県下のBookOffをハシゴして108円文庫を自炊しまくった。
だから私のボロ家に本棚はない。東日本大震災を機に本はことごとく裁断してPDF化し、読みたいときにICloidから引っ張り出すことにした。どうせ集めても一瞬にして津波に持っていかれるんだからしょうがない。自然災害は一瞬にして人の命を、そして人の生活を破壊するものだということを思い知らされた。
【書】『奥の細道』30(那須5)(No.1,890)
「それより八幡宮に詣。与市、扇の的を射し時、『別しては我国氏神正八まん』とちかひしも此神社にて侍と聞ば、感応殊しきりに覚えらる。暮れば桃翠宅に帰る。修験光明寺と云有。そこにまねかれて、行者堂を拝す。 夏山に足駄を拝む首途哉」(訳:それから八幡宮に参詣する。那須の与一が、扇の的を射た時、「中でもわが郷国の、わが家の氏神であられる八幡様」と誓いを捧げて祈ったのは、この神社であると聞くと、感動もひとしおである。日が暮れたので、桃翠宅に戻った。修験道の寺である光明寺というのが近くにある。そこに招かれて、行者堂を拝み、次の句を作った。 遠く仰ぎ見られる陸奥の夏山よ その夏山への門出に自分は今峰々を踏み破った行者にあやかりたいものと行者の高足駄を拝むことであった。)
どえらい人が来たといって芭蕉は接待の嵐。少しはゆっくりさせてくれというのが本音だろうが、まわりがそれを許してくれない。芭蕉は偉くなり過ぎた。
【昭和の風景】津軽弁。(No.590)
絵手紙。「ふとげり えさ 遊びに 来いへ」。
「一回 家に 遊びに おいで。」の意。
後半は比較的優しいトーンにつつまれるが、最初の「ふとげり」がいけない。これで、がくんと津軽弁に成り下がる。
「ふとげり」は津軽弁特有の語彙だが、これが混ぜ合わさることによって、いかにも津軽弁らしさが全開する。
【タイムラプス】令和6年9月1日(日)12:36〜15:20の伊豆長岡の空。20秒。
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