いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

テレビ見ず焼酎あればそれでよし(あ)

    警察小説というジャンルがあるらしい。場末の居酒屋で出されるお通しを平らげるごとに事件が解明されていく。それを読み解きながらちびちび晩酌を嗜む。時代劇もいい。

 好みが変わってきた。年を取ったんだろうか。池波正太郎じゃないけど、着流しで作品に出てくる料理に箸を伸ばしたくなった。

    文芸誌今号(9・10月合併号)が届いた。今号は「直木賞発表特大号」。先々月から発刊が隔月になり若干寂しい思いをしていた。加えて今号は、発売日を過ぎても届かなかったのでやきもきしていた。これまで発売日には書店に並んでいたのだから、やってできないことはない。

 拙宅に届いた文芸誌をパラパラめくって気づいた。載せてある作家の画像のことごとくが後ろ向きで顔が判らないのである。一穂(いちほ)ミチ氏は、実は同文芸誌5月号にも紹介されていて、その時は顔が写っていた。

 その間、直木賞受賞に至るまで、なにか心境の変化があったのだろうか。

 顔を知らせないというのは、あくまでも文章の巧みさで獲った賞だから関係ないといえば関係ない。しかし、だからといって選んでくれた人にまで顔を背けるというのはいかがなものか。ちょっと不遜のにおいがしていただけない。だったら応募するなよ。受賞したくてうずうずしている予備軍がまだまだたくさんいるんだから。

 逃げも隠れもしない潔さみたいなものがもう少しあってもいいような気がする。選者で顔を隠す人なんていないよ。みんな自分の選考に責任を持っているからだと思うよ。

 

【書】『奥の細道』24(那須1)(No.1,884)。

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 「那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遙に一村を見かけて行に雨降、日暮る」(訳:那須の黒羽という所に、知り合いがあるので、この日光から那須野越えにかかって、真っ直ぐに近道を行こうとした。遥か遠くに村があるのを見かけて行くうちに、雨が降り出し、日も暮れてしまった)

   ここでは、道中途中で知人宅に立ち寄ろうとしている。旅先を「おくのほそ道」にしたのは、東北だと知人が少ないからという理由もあった。なのに、途中で知人宅にわざわざ寄り道している。当時すでに名声を博していた芭蕉でさえも、「おくのほそ道」は心細い旅だったのかもしれない。

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【昭和の風景】津軽弁。(No.583)

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 絵手紙。「そへば 出はるが」。

「ではそろそろ 出ましょうか」の意。

「そへば」というのは、「〜するのにいい頃合いだ」の意味。

 てな具合に説明しなくちゃいけないのが歯痒い。でも、津軽弁は独特の方言だから仕方ない。しかし、いや、だから、津軽弁を話せるというのは、ちょっぴり誇らしくもある。

 

【タイムラプス】令和6年8月26日(月)7:39〜10:15の伊豆長岡の空。35秒。

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