いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

氷水お代わりないの芭蕉翁(あ)

 LINEのグループで、市から送られて来るデータを某委員会メンバー皆で共有できないかと考えていたら8月になっていた。

 できない。今をときめくLINEなら何でもできると思い込んでいたが、こればかりはできない。

 LINEならできると思って努力を重ねて来たが、出来ないことが判ってあきらめた。

 とはいうものの、まだ未練が多少残っている。そんなはずはない、できるはずだと「裏技」まで覗いたが結局「裏技」は見つけられなかった。

 「裏技」があるんだったらとっくに伝播されていいはず。未だに伝播されないということは、どこを探したって、そんなものはないと思ったほうがいい。

 でも、あきらめきれない。あれば誰でも飛びつくような機能がどうしてないんだ? 逆にそれが不思議。

 図書館から資料本を借りて来てから松尾芭蕉を追っかけてる。

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 「元禄五年、四十九歳の正月を江戸で迎えようとしていた芭蕉は……五十歳も迫っているのに、財産もなく、家もなく、妻もなく、子もない。……」(小学館古典文学全集)とある。このときは『おくのほそ道』への旅費を用意するために江戸の芭蕉庵を売り払っていた。もう帰る家もない状態に身を置いてまで俳諧に全神経を捧げる覚悟が、このときの芭蕉にはあった。すごい人だ。

 そんな覚悟なんて、今の私にあろうか。あろうはずがない。

 私も少しは俳句をかじる人間として、芭蕉の唱える「軽み」に一歩でも近づけたらなあと思う。

 「軽み」は、作者の観念を露骨に詠んだり、古歌や故事をもとにして作るようなことを「甘み」として排斥する。

 言うは易し行うは難し。作るは作るけど、これといった一句をまだものした試しがない。芭蕉翁の目指す芸風にはほど遠い駄作ばかりが積み上がる。

 

【書】『奥の細道』18()(No.1,868)

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「卯月朔日、御山に詣拝す。往昔此御山を『二荒山』と書しを、空海大師開基の時、『日光』と改め給ふ。」(訳:四月一日、日光山の御社に参詣した。むかしは、このお山を二荒山と書いたのだが、空海大師がここに寺を建立された時、日光と改められたのである。)

 いやあ、『おくのほそ道』を追っかけてるだけで勉強になりますね。

 並行して芭蕉の生涯を繙いているけど、芭蕉の俳諧に傾ける凄みみたいなものが伝わってくるようです。

 

【昭和の風景】津軽弁(No.587)

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 絵手紙。「かまどけして いねぐ なたね」。

 「財産を失って 出て行って しまった。」の意。

 「かまどけし」は、もはや津軽弁ではなくなった。全国区にのし上がった感がある。それは一つの誇りでもあるし、身近でなくなった寂しさでもある。

 

【タイムラプス】令和6年8月20日(火)7:32〜10:20の伊豆長岡の空。20秒。

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