いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

夏の雨儚く咲ける白い花(あ)

 神奈川・大磯に住む娘が旦那の運転でお米を取りに来た。

 「今から向かう」「もうすぐ着く」とLINEメールに表示されるけど、そんなの見ちゃいない。

 メールは電話と違って、自分の都合に合わせて後でゆっくり見ることができる。私がメールを好むのは、考える猶予を与えてくれるからだ。電話だとかかってきたそばから対応しないといけない。トイレに入ってたって出ないといけないという強迫観念が先に立つ。その点、メールはこっちの都合に合わせて時間を指定せずに読むことができる。それが良いと思っていた。

 私は電話の話し言葉より文章の書き言葉を重んじるきらいがある。だから、話して済むことでもいちいち書き言葉に置き換えるということをする。それが苦だという人もいるが、私は全然苦にならない。

 で、昨日の大雨では災害時にメールはちっとも役に立たないことが判った。災害時はリアルタイムの情報が役に立つ。リアルタイムにはメールは不向きだ。すぐ読んでくれないから。

 どうしたらすぐ読んでくれるのだろう。それがこれからの防災を考える上で最重要課題になってくる。

 

【きょうの一枚】ヨルガオ(夜顔)。

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 いつもグランドゴルフの練習をする坂下のグランド脇に白い花が咲いていた。ケータイアプリ「花しらべ」で調べると4つほど候補が上がった。その中に「ヨルガオ」というのがあった。この花の形が最も近い。が、花期を見ると7月〜10月とあって、咲くのがひと月ほど早い。う〜ん違うかなと思ったが、「別名ユウガオ」とあるのが目に留まった。

 『源氏物語』に出てくる「夕顔」である。蔓状で田圃の畔に咲く。へええ、こんなところに咲くんだ。ただ花期だけが違う。

 違うかなあ、違って欲しくないなあと思っているところへ後発車が到着した。会場を設営しなくちゃいけない。で、頭で思い巡らせていた平安の夢が雲散霧消した。

 

【書】曽祢好忠そねよしただ(No.1,807)

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「由良の門(と)を渡る舟人(ふなびと)かぢをたえゆくへも知らぬ恋の道かな」(意:由良川の河口の流れが速い瀬戸を漕ぎ渡る船頭が、櫂をなくして行く先も判らず漂っていく。そんなようにこれからどうなるか行く末が私の恋の道ゆきだ)

 曽祢好忠は、火山天皇の御代の歌人。丹後掾(たんごのじょう)だったため、「曽丹 (そたん)」とか「曽丹後(そたんご)」とかと呼ばれていた。

 斬新な歌で知られ、歌の才能を高く評価されていたが、性格が偏屈で奇行が多く、社会的には不遇だった。

 

【ディジタル画】『カーライル博物館』その13(No.1,307)

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 「人間は道具を使う動物である。道具なしでは無であり、道具があるとすべてである」。

 トーマス・カーライルの箴言。

 私は今タブレットとペンシルを使ってディジタル画を描いている。タブレットとペンシルは私にとって大事な道具だ。

 この二つを私から取り除いてごらん。何もできないから。

 人間は道具を駆使して便利な日常を獲得してきたけど、いざ道具を奪い取ったら何もできない生き物なんだ。

 

【昭和の風景】墨画(No.527)

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 絵手紙。「ブルーシートを敷いて 庭でちょきちょき  散髪」。 

 梅雨晴れ間の庭にブルーシートを敷く。で、道具を持ってきた娘に散髪をしてもらう。ちょきちょき、気持ちいいねえ。

 娘が旦那の車でお米を取りにきたついでに髪をカットしてもらおうとして娘に言うのを忘れてた。ら、娘は覚えていた。

 一月、三月、六月と、これまで3回散髪してもらった。去年のも含めると全部で4回。一月はまだ寒かったから、薪ストーブのそばにブルーシートを敷いたかもしれない。

 でもこの年になって、娘に自分の髪の毛を切ってもらう日が来るなんて、思ってもみなかった。

 頭の後ろでちょきちょきハサミの音を聞きながら朴訥に昔を語る。娘に訊いたら、平塚の幼稚園に通っていたことをちゃんと知っていた。もちろん、小学校の校舎が焼けたことも知っていた。

 

【タイムラプス】令和6年6月19日(水)6:31〜8:30の伊豆長岡の空。29秒。

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