【きょうの一枚】小学校の体育館。
オール木造の体育館。支柱も全て木造。これは珍しい。平成6年8月竣工で、今なお現役。
写真は体育館正面の裏側になる。出入り口は校舎と渡り廊下で繋がれており、児童はそこから体育館に入るんだと判る。
今日はここで、地区防災の会議があった。
体育館フロアには業務用の巨大扇風機が回っていたが、体育館は基本的に空調施設がないから暑い。とにかく暑かった。
【書】「鳬舟」フシュウ(No.1,483)
「かもの形をした舟。また、かもの姿を彫刻した舟。」(『旺文社漢字典第2版』)
「鳬」は、鳥の足に水かき(几)のあるさまで、水かきのある鳥、「かも」の意。一説に、鳥と几、(フは変化した音。水かきの意)とからなる会意形声字という。
「舟」は、板をはって長方形に造った「ふね」の形にかたどる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』報告 七(No.923)
黒子の男は森本ではなかった。名を松本恒三という。
が、男の名が判っただけで、男を迎えに出た停留所の女との関係は判っていない。
田口は松本への紹介状をしたためて敬太郎に渡す。
女は? 女は何者? 依然として判らない。しかし、田口は女のことを知っているふうでもある。どゆこと?
紹介状は手書きだった。手書きの手紙か。いいね。
そういえば最近、手書きの文書をほとんど見なくなった。学校の定期テストに至っては皆無である。
鉄筆をカリカリいわせて長い文章を徹夜で書いた時代は終わった。テストの朝、印刷機に貼り付けて刷ろうとしたら原稿がビリッと破けた、なんてお粗末は終焉を迎えた。そんな話を今若い人にしても、きっと誰も信用してくれないだろう。マジ? いつの時代の話? と笑われるのがオチだ。
今や全国津々浦々にある文学館で展示されるのも、ことごとく手書きの資料である。
今でこそ貴重な手書き文書を拝覧することができるが、それも早晩閲覧は不可能になるだろう。
敢えて手書きをする人なんているわけない。やりたいことは全部機械がやってくれる。
芥川賞だって、直木賞だって、たぶんこれからは受賞した年だけ活字表記される時代になるんじゃないかな。
そんな時代が来る。でも、それでいいんだと思うよ。人間は常に便利で新しいものを求める動物だから、不便な昔に逆戻りする必要は何もない。
10年先、20年先が、どんな世界になっていようがどうでもいい。
無責任じゃないんだ。次世代がやることは次世代に任せるべきだということよ。
歴史は常にそういうふうに動いてきた。年寄りが口を挟んでもいいことなんて一つもないのさ。
【昭和の風景】203
「川崎」白黒。
浮世絵師・歌川広重の描き残した東海道五拾三次には「川崎 六郷渡船」というタイトルが見える。
「六郷」は今の東京都大田区。ということは、船を渡しているこの川は多摩川ということになるか。
商人らしき人が、渡し舟でのんびりキセル煙草をくゆらしています。おや? 奥に富士山が見えますよ。当時はこういうゆったりした時間が流れていたんだろうなあ。昔ののどかな雰囲気が伝わってくるようです。
【タイムラプス】7/10(月)5:57〜8:56の伊豆長岡の空。22秒。