いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ぐらぐらと鉛の空の柿紅葉(あ)

 土日は何が大変かって、朝昼晩の孫の食事を作らなければならないのがいちばん大変。それを思うと、平日の給食がどんなにありがたいことか。平日に限らず毎日給食にしてくれないかと思うほどだ。
 今朝は、冷蔵庫にトマトが1個残っていたので、ホットサンドに挟んだ。ホットサンドにトマトを挟むときはロースハムにしないでベーコンを焼いて、それを二等分にして挟む。
 ホットサンドは今や私の定番モーニングメニューで、挟む食材を微妙に取り替えながら飽きないように工夫する。
 昼は、先日の鍋の汁で塩ラーメン。朝食だか昼食だか判らない時間帯にのそのそ起きてきてホットサンドを食んだお兄ちゃんは、果たして昼の塩ラーメンを半分残した。せっかく作ってやったのに残しやがってこのやろう、なのだが、そこは言わないでぐっとこらえる。
 たぶん私も中学のときはそうだった。自己本位の生意気な洟垂れガキだった。腹が減ったら食うものがどこからともなく差し出されるのが当たり前だと思っていた。親の苦労なんてこれっぽっちも考えていなかった。
 晩御飯は、レトルトの鳥釜飯。研いだ米と汲んできた湧き水とレトルトの鳥釜飯の具を混ぜ合わせ、コンロに載せる。私は米を炊くのに炊飯ジャーを使わない。市販の炊飯土鍋を使う。これで炊くとめちゃくちゃ旨い。お焦げが自然にできるから、孫も喜んでおかわりする。
 で、孫娘と、来週の火曜は休みだけど、その日のご飯は何にしようかという話になった。「大体、なんでその日が休みだか知ってる?」と孫娘に振る。「え〜と、働く人に感謝する日」。「そうだ。だから、じぃじにも感謝しなくちゃね」と言ったら孫娘、やや無言の後に「……じぃじ、働いてないじゃん」だって。まさにその通りで、ぐうの音も出なかった。


【きょうの一枚】柿紅葉の最後の一葉。

f:id:jijiro:20211122134331j:image
 去年、柿の木の枝をばっさばっさ剪定した。
 柿の実はなる年とならない年が交互にやってくることは知っていたが、ここ数年は吊るし柿をした覚えがない。つまり、剪定の仕方が出鱈目で、そんな剪りかたをしたら実がなる年にもならないよという剪りかたをしていたのだった。
 去年もそう。実がなるならないに関係なく、枝をスカスカに剪ったから、案の定、実がならなかった。たぶん実のなる剪定の仕方があるのだろう。柿農家の人はそれを知っているが、私は素人だからさっぱり判らない。剪っても剪らなくても実がならないんだったら、今年は剪らないでおいて様子を見るか。
 今年うじゃうじゃ生い茂った柿の葉も、いよいよ最後の一葉になった。晩秋の鉛色の空にヒラヒラする一枚の柿の葉。よく見ると先っちょが千切れています。気に入らない風にでも当たったのだろうか。
  気に入らぬ風もあろうに柳かな 仙厓義梵
 江戸後期の仙厓和尚の名句が頭をよぎりました。
 成り手のいない自治会副区長の件をまだ引きずっているようです。


【書】「玉兎」ぎょくと(No.889)

f:id:jijiro:20211122134224j:image
 「月の別名。月の中に、うさぎがいるという説による。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「玉」は、三つの玉を紐で結び貫いた形。古代の人は、堅くて光沢のある玉に生命的な力、霊の力を感じていたらしく、玉を身につけることによって霊の力を借りようとしたようであった。
 「兎」は、長い耳と短い尾をもっている「うさぎ」の形にかたどる。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 34(No.331)

f:id:jijiro:20211122134208j:image
 二絃琴の御師匠さんとこの三毛子が登場したことで、二絃琴とはどんな琴のことか気になった。
 二絃琴とは、「細長い胴に同じ長さの二絃を張った琴」のことをいう(「goo辞書」) そうだ。大正時代に流行った琴を大正琴と呼ぶのに対して、漱石の時代に流行ったのは明治琴とは言わない。大した流行でもなかったのだろうか。
 今回は輪郭を「漫画ブラシS(シンプルGぺん滲み)」で描き、彩色は「水彩&ぼかし」ブラシ、字は「かもがわ手書きペン(ざらざら)」を使った。


【タイムラプス】11月21日(日)6:55〜9:41の伊豆長岡の空。20秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10227401731131166/?d=n


【新型コロナ】11/21(日)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→110(前週同曜日比 −89)
重症者数→62(前日比 ±0)
累計死亡者数→18,346(前日比 +5)