【きょうの一枚】曇天の下を流れる狩野川。
修善寺の学校に用があって電車で出かけた。ここの高校に夏祭りでの和太鼓演奏を依頼したら快く引き受けてくれた。それで、そのお礼方々、顧問と詳しい打ち合わせをするために出かけた。
私は、以前この学校に一年間お世話になったことがある。駅から線路に沿って歩き、踏切手前を右に折れて川沿いを歩く。と、その奥に上の車道に通じるつづら折の近道がある。
懐かしい。何もかもが懐かしい。昔のまんまだ。そう思いながら昔を懐かしむように一歩一歩山道を登る。そうして、山道はやがて車道に出た。
打ち合わせは30分ほどで済んだ。その後、懐かしさに釣られるように狩野川の土手を歩く。新緑の川風が心地よい。
と、背後から自転車が颯爽と追い抜いていった。頭のてっぺんの髪毛がすっかり抜け落ちた初老の男性である。半袖のTシャツにハーフパンツ姿のその人はマスクをしていなかった。
そういえば、きのう行った市役所職員は全員ノーマスクだった。マスクをしない普通の夏が戻ってきたようで何だか新鮮な気がした。どこへ行くにもマスクを欠かすことのなかった窮屈な生活から解放されて、変に清々しさを覚えた。
狩野川の土手を歩いて帰るのは久々だ。久々すぎて、平坦な何でもないアスファルトの道なのに足がもつれた。いや、足がもつれたのは久々に歩いたからではなく、歳をとったからだ。
何せ古来稀な70だものな。足ももつれるさ。歩くのがかったるくなって、途中、土手道を下りたところにあるコンビニで一休みすることにした。歩きながら頭の中では、コンビニコンビニもうすぐコンビニと唱えていた。
「足が棒のように」なって、自分の足なのに自分の足ではないみたい。以前、同じ道を同じように歩いたときはまるで感じられなかった疲れが、今は感じられるようになった。少なくとも途中のコンビニで一息つこうという考えなど持ったことがなかったのに、今は絶対あそこで休むんだという気合を持って休むようになった。どうしようもねえ。
たった七年経っただけなのに、かくも体力が衰えたことに愕然とする。知らず知らず老いはそこまで来ているんだな。いや、来ているどころではない、もうどっぷり来ちゃってる。
【書】「歳月」サイゲツ(No.1,457)
「としつき。年月。時間。」(『旺文社漢字典第2版』)
「歳」は、もと、穀物の収穫に用いる用具の形で、収穫の意を表したが、のちに步(日月のあゆみ)を加えて、収穫から収穫までの周期、「とし」の意に用いる。
「月」は、日月を対照してその特徴に着目し、常に円い「日」に対して、満ち欠けする月の欠けた形にかたどる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 十七(No.897)
浅草で占いをしてくれる店を探していた敬太郎は、真っ赤な唐辛子を描いた看板の店に入る。その店は薬屋と占い屋を兼ねていた。店で一人針仕事をしている婆さんがいた。その人が九枚の銭を並べて占う「文銭占い」という占いをする人だった。
敬太郎は、「純然家庭的の女が、自分の未来に横たはる運命の予言者であらうとは全く想像の外にあつた」。
だったら自分の運命を占ってもらおうと思わなければよかったのに。
【昭和の風景】177
古い昔話の「カチカチ山」。色塗り第10弾。
兎は相変わらず武士の格好をしている。着ているものもこざっぱりとしているし、腰には刀を佩いている。
【タイムラプス】6/14(水)5:32〜8:27の韮山方面の雨空。21秒。