いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

なに色に咲くかは知らぬ球根植う(あ)

 朝から晩まで、孫とベッタリの正月です。

 ベッタリで何がいちばん疲れるかといって、朝昼晩3食のご飯の支度をしなければいけないのがいちばん疲れる。朝ご飯の後片付けをしながら昼ご飯は何にするかを考え、昼ご飯の後片付けをしながら晩御飯は何にするかと考える。

 ご飯だけではない。洗濯もすれば、布団も畳めば、掃除機もかければ、風呂掃除もすれば、薪もくべれば、おやつも用意すれば、飲み物も作る。買い物にも出かける。世のお母さん方は、これを当たり前のようにこなしているからすごい。いつも感心する。私がたかだか6日の孫の世話くらいで根をあげているんだから、みっともないったらありゃしない。世のお母さんに笑われる。母は強し、である。

 

【今日の一枚】新しい柵。

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 お絵描きに飽いた孫娘が庭にチューリップを植えようと言ってきた。チューリップの球根は冬休みに入る直前に職場からいただいた。

 去年、学校の花壇に植えたチューリップの球根が大量に余っているのを見つけ、現業の人に、「冬休みに孫と一緒に植えたい。分けてもらえないか」と言ったら、大小さまざまな球根を、しこたま袋に詰めてくれた。

 そのことを孫娘に話したら、ぜひ植えたいということになって、今日、することがなくなった孫娘の提案で庭に植えることになった。

 それはいいのだが、問題は植える場所。それでなくても狭い庭はいろんな庭木が植わってあってすでに飽和状態。どこに植えようかと考えて、ここしかないと物干し竿下の僅かなスペースに植えることにした。

 物干し竿の下は、ミニ菜園を潰したときに同時に撤去した飛び石を敷き詰めてある。敷き詰めるときに木槿(ムクゲ)の下の土を削ってきて盛ったが、盛り土とコンポストへの小道の間にわずかばかりの土が見えていた。庭で日の当たる場所といったら今やそこしかない。

 そこの隙間にチューリップの球根を植えることにしたが、植えたことを知らずに踏んづけてしまうといけないと思って、ちょっとした柵をこしらえることにした。それが、これ。

 突き刺した園芸支柱は、かつてお兄ちゃんがチャンバラで折ってしまったやつ。横に結んだ竹は庭に生えてきたのを切って、八重桜の幹に立てかけて干してあったもの。

 私は、基本的に断捨離ができない人で、用途の明らかでないものも捨てないで残しておく。お兄ちゃんのチャンバラの犠牲になった支柱も地面から生えてきた竹も捨てない。いつか何かの役に立つだろうと思って残しておけば今日のように出番がやってくる。そして、それに味をしめていよいよ物を捨てられなくなる。

 あるとき、市のゴミステーションに布団を捨てに行った帰りに、そこで見つけたクラシックカーの玩具をもらってくるくらいだもの、ガラクタを詰め込む小屋を作ってしまうくらいだもの、断捨離どころか、いよいよもってゴミ屋敷まっしぐら、なのである。

 そういえば、青森の祖母は、浜に打ち上げられた腕のない鉄人28号の人形を拾ってきて、仏壇の御本尊代わりに立てかけ、ちーんとリンを鳴らしてたっけ。どうやら私もそんな血をひいているらしい。

 

【タイムラプス】1月2日(土)6:30〜7:25の伊豆長岡の空。

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【新型コロナ】1/2(土)10:00現在(Yahoo!より)

現在感染者数→39,745(前日比+606)

新規感染者数→3,247(前日比 −1,274)

死亡者数→3,540(前日比+49)