いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

三島で懇親会

午後2時から三島の職場で研修会。研修会後、三島駅南口の海鮮居酒屋で今年度の講座担当者と懇親会。同席された中に、25歳の時に中伊豆で少年サッカースクールを立ち上げたという方がいて、その人の話が面白かった。年恰好は私よりも少し上で恰幅がよく、どこかしらかつての国見高校サッカー部の小峰監督を髣髴とさせる風貌である。その方が25歳の時というと、40年近く前ということになりますか。当時は中学校の教員をやられていて、その傍ら、小学生にサッカーを教えていたという。自ら大型免許を取り、マイクロバスを運転して各地を移動したというから、まさに小峰監督のそれとピタリ重なる。当時の中伊豆はサッカー不毛の地で、選手を集めるのに苦労した。なんとかチームの形を成し、マイクロバスに乗せて、そのころ割と強かった伊東市のチームとの練習試合に出かけて行ったが、ちびっ子たちはバス移動に慣れていない上に、亀石峠を越える曲がりくねった道にすっかり車酔いしてしまって、キックオフを後ろにずらしてもらったこともあった。また、東京を横切り、片道4時間かけて鹿島アントラーズまで出かけたりした。さすがに一日行程で帰って来るのは無理なので、向こうで一泊し、夜に鹿島神宮で肝試しをしたりもした。
そのうち、長岡中から函南中へ転任となる。そこへ、現在、サッカー日本代表でドイツ・ブンデスリーガシャルケ04に所属している内田篤人選手が入学してきた。その彼を3年間授業で教えた。彼の両親は元スプリンターで、その血を受け継いで、ともかく足だけは速かった。それでFWのポジションに置いたが、キヨトウ(清水東高校)に行ったら梅田さん(当時の監督)がサイドバックにコンバートした。ワールドカップも6月に迫り、右太腿の肉離れが心配だ。日本代表の最終選考に残るかどうか微妙だが、なんとか残ってほしいと思っている。それにしても、あのグリコのCMのビビビッて何だ。まともに言えてない、と苦言を一言。そういう言葉の端々に恩師としての温かい愛情が滲み出ていた。8,783歩。
写真は、職場の7階の窓から見下ろした今日の三島駅北口。また一つ人生出会う新学期(あ)
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