いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

レンギョウの思い出

久しぶりに辻堂大平台の長久保公園まで歩く。入口を入ってすぐの花壇に菜の花が黄色く華やいでいる。メインの花壇は色とりどりのパンジーが整然と咲き誇り、その花壇に腰掛けて、若い母親が乳母車の幼児にアイスクリームを食べさせていた。陽射しはすっかり春の光だが、風にはまだ寒気が混ざっていて少し肌寒い。

陽光の広場から野鳥の憩う池を回り、樹木に吊り下げられた説明を読みながら木陰を歩く。樹木の名を覚えようとするのだが、これがなかなか覚えられない。せめて伊豆の家の庭木の名前だけでも知りたいと思って同じ木を探すが、見つかるのはサルスベリとアオキくらいのもので、知りたい木に出会えない。アオキは葉も枝も青いのでアオキという。案内札にそう書いてある。あっ、そういうことね。いやあ、勉強になります。また、雄木と雌木があって、雌木は直径2cmほどの赤い実をつける、ともある。そういえば、昨日、伊豆の家を出るときにアオキの葉陰に赤い実がちらっと見えたな。ああ、この実も早晩、孫のままごとに捥ぎ取られるんだなあと思ったけど、そうか、あれは雌木だったんだ。知っている人からすれば、そんなことも知らんのかと蔑まれそうだが、こういった他愛ない発見も私にとっては些細な喜びなのです。
木立の奥に進んで行くとレンギョウの生垣があった。まだ花は咲いていないが、垂れた枝には蕾が粒粒とその出番を待っていた。レンギョウには亡き母との思い出がある。平塚のアパートに住んでいた頃、母と、子を連れた姉が訪ねてきて、一行を読売ランドに案内したことがあった。ちょうどレンギョウが真っ盛りの頃で、特に何を話すでもなくレンギョウの咲く道を母と並んで歩いた。レストランで食事をしたはずなのだが、その場所も、何を注文したかも全く覚えていない。ただ、レンギョウだけは強烈な印象として残っている。たぶん、その時まで私はレンギョウという花の名を知らなくて、母の口から出た言葉でその名を知ったような気がする。「ほれ見でみへ、レンギョウのきれいだごと、まンずの」とか何とか母は言ったのかもしれない。9,560歩。レンギョウや老母と並び無口なり(あ)
f:id:jijiro:20140316054652j:plain