いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

身を癒しきれず渦巻く秋出水(あ)

【今日の一枚】公民館階段にある大きな写真。

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 どなたが提供してくださったかは判らない。額縁に収まった立派な写真だ。
 色はだいぶ褪せているが、天を突き刺すように聳える秀麗富士の姿は美しい。その手前に「沼津アルプス」が連なり、その山々に挟まれるような格好で伊豆長岡温泉の家並みが続く。
 そして、ひょろ長い源氏山丘陵の南麓にへばりついているのが古奈温泉。ここは源頼朝が伊豆で北條政子に出会う以前からの出湯で、明治40年に見つかったという伊豆長岡温泉よりもだいぶ古い。
 古奈温泉の南面に田畑が碁盤の目状に開け、その端を舐めるように狩野川が蛇行する。
 狩野川は太平洋を背にし、富士山に向かって流れる不思議な川だ。だが、地元の人はちっとも不思議がらない。それが当たり前だと思っている。
 伊豆半島のど真ん中に天城山がでんと構え、そこに湿った雨雲がぶつかって狩野川を膨らませる。天城山から東西南の大海へ注ぐ川があれば、狩野川はそちらに向かって流れたのだろうが、あいにくそのような川はなかった。2018年にユネスコ世界ジオパークに認定されることになる伊豆の険しい地形がそうさせなかった。それで天城山に溜まった水は東でも西でも南でもなく、北の富士山へ向かって流れるしかなかったのである。
 で、北に向かって流れると富士山の手前に愛鷹山がある。狩野川はその愛鷹山にぶつかって左に大きく曲がり駿河湾に注ぐ。その河口に開けたのが沼津港で、晩年、富士山をこよなく愛した若山牧水は、沼津から見る富士山の景色に惚れ込んでここに居を構えた。
 その狩野川中流の右岸丘陵を崩して開発されたのが私が終の住処と決めた今のところで、写真で見ると別荘地ならではの特徴が出ている。つまり、道がくねくねしている。
 写真では、赤茶けた切土(きりど。盛り土の反対)が目について禿山のようだが、それも今では鬱蒼と繁茂する緑に覆われて見通しが悪い。
 実は今、その繁茂が問題になっている。樹木の繁茂が児童の通学路の妨げになっているという。
 繁茂した樹木の伐採は基本的にその敷地所有者が行うことになっている。しかし、その所有者が既に他界されていたり、連絡が取れなかったりする場合は、伐採の許可をいただこうにもいただけない。
 勝手に区が危険だと判断して伐採しても後で「なんで許可しないのに勝手に伐った」と所有者に言われればグーの根も出ない。だったら自分でなんとかしろよと言いたいが、それを言っちゃおしまいなので言わない。男はつらいよ、なのである。


【書】「某啓」それがしケイす(No.1,179)

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 「私が申し上げる。拝啓。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「某」は、木と口に食物をふくんでいる形の甘とで、妊婦が好んで食べる実のなる木、「うめ」の意を表す。梅の原字。借りて、不定称や自称の代名詞に用いる。
 「啓」は、口と〓(けい。啓から口を取り除いた形。戸を開く意)とで、口で人を教えひらく意を表す。転じて、申し出る意に用いる。


【ディジタル画】『坑夫』 53(No.611)

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 「自分」は初さんという人に連れられて、雨降る中をシキの入口までやって来た。
 出端にダメ出しを食らった服装(なり)から、初さんの手によって坑夫らしい格好に仕立て上げられる。
 筒袖、股引、アテシコ(三斗俵坊つちのような藁布団で臀部に縛りつける)、鑿(のみ)、槌(つち)、カンテラ、履き替え用の新しい草鞋。これだけのものを身に纏って坑内に入って行く。いや、まだ入って行ってない。その手前。そこから奥を覗く。「奥は暗かつた」。
 このとき「自分」はどんな気持ちで、暗い奥の闇を見つめていただろう。


【タイムラプス】9月9日(金)5:55〜7:49の伊豆長岡の空。2°8秒。

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【新型コロナ】9/9(金)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→99,491(前週同曜日比 −29,213)
重症者数→461(前日比 −10)
伊豆の国市陽性者数→37(前日比 +19)(静岡県HPより)