いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

版画を彫る

年賀状用の版画を彫る。こだわりで、年賀状は木版画と決めている。毎年彫り続けている割には一向に上達しない。最初に彫刻刀を握ったのは小学校6年のときだったように思う。共同で木版画カレンダーを作った記憶が微かにある。私の担当が何月だったかは覚えていない。三角刀を特に好んで使ったのは覚えている。今も三角刀は好きで、今回の版画もほとんど三角刀で彫った。

棟方志功は木版画を「板画」と呼んだ。縮れ毛の頭に豆絞りをねじり鉢巻にし、牛乳瓶の底のような分厚いレンズの眼鏡を掛けて、弥三郎節を歌いながら版木を舐めるように彫っていく独特のスタイルは、私の脳裏に未だに焼き付いている。長部日出雄の長編小説に『鬼が来たー棟方志功伝ー』があって、就職したての頃に読んで、実に面白かった。「わだばゴッホになる」といって故郷青森を飛び出した棟方志功が、波瀾万丈の人生を経て「世界のムナカタ」になるまでを描いた力作である。特に印象に残っているのは、同郷の仲間と麻雀をするシーン。

「かれは汗かきであるうえに、体からの分泌物が人一倍多く、たえず鼻水が流れ出し、口中には唾が湧く体質のようであった。見ていると、眼を剥いて考え込んでいる棟方の鼻から一筋の鼻水が糸となって垂れ、いまにも下の卓につきそうになる。あ、つくな……とおもわれた瞬間、かれは一気に鼻水を啜り上げ、鼻孔と口元を手の甲と指の背で拭うと、『よしッ』と気合の入ったかけ声を発して山の牌にその手を伸ばした。『志功の麻雀は、ヤバツクテ(不潔で)まいね』と、仲間は辟易していたが、棟方は一向に意に介しなかった」

私が年賀状を版画で作るのにこだわるのは、棟方志功の影響が大いにあるようだ。遊ぶ時だって手を抜かず真剣に遊ぶ、そんなスタイルに憧れるのかもしれない。いや、逆だな。遊びだからこそ真剣になれるんだ。仕事だとそうはいかない。残された人生はそんなに長くはない。思いっきり楽しみ遊んでやるんだ。それが生きるってことだから。5,793歩。薪焼べる遊びをせんと燃え上がる(あ)

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