いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

昔ながらの餅搗き

横須賀にあるカミさんの実家で餅搗き。カミさんと一緒に暮らすようになって以来、30年以上欠かさず続いている年末のイベントである。義父が亡くなってからは、東京に住む長男が全体を取り仕切っている。去年はまとまった雨が振り、これで長年続いた餅搗きも途絶えるかと思いきや、ブルーシートを買ってきて植木やら脚立やら物干しやらに繋いで決行する気合の入れよう。義母の元気なうちは何としても続けなければいけないという義兄の信念をみた。

今年は風もなく穏やかな日和で、餅搗きには絶好の日となった。7時半に藤沢を出て、大船駅で横須賀線に乗り換え、更に逗子駅京浜急行線へ乗り継ぐ。横浜駅経由よりも乗り換え回数は多いが、この経路の方が運賃が安い。追浜駅の到着時間は同じ。つまり、新逗子駅発の急行に乗ると、横浜駅発三崎口行きの特急に金沢八景駅で乗れるということ。到着時間が同じなら運賃の安い方を選ぶのは道理でしょう。

追浜商店街も御多分に洩れずシャッター街化が進んでいる。日産の工場が縮小されてからは、かつての賑わいはすっかりなくなってしまった。そんな中、表通りから外れた路地裏で昔ながらの豆腐屋が頑張っていたりすると、何だか嬉しくなる。同時に今の代で店を閉じるだろうことを寂しくも思う。

義母の家に着いたのは9時少し前。ちょうど一番目の蒸籠が蒸け上がったところだった。焼べている薪に見覚えがある。伊豆のぼろ家の食器棚を解体して作った薪だった。ところどころ釘が残っている。塗料を塗っていないチーク材だから、黒煙はそれほど出ていない。通りすがる近所の人も、昔ながらの餅搗きに、懐かしいねと声をかけてくる。そこへ、耳ピアスの青年が近寄ってきて臼の前にしゃがみ込んだ。義兄が搗いてみる? と声をかける。すると青年は、搗くよりも返しをやりたいと言う。田舎では返しをやっていたとのことで、なるほど返し方がうまい。手慣れた手つきで餅を返していく。お礼に搗きたての餅を千切ってあげたら、莞爾とした笑顔を残して去っていった。今どき、こういう爽やかな若者もいるんだということに心がほっこりする。

11時半に餅搗き終了。今年は8臼搗いた。義母は搗きたての餡子餅をぺろりと3個平らげる。90歳を過ぎて食欲なお旺盛。4,231歩。搗きたての卒寿の餅は柔らかく(あ)

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