東伊豆に抜ける峠道の途中に交通安全の看板が立っている。その看板が生い茂った草で見えないという。それで今日、交通指導員が集って草刈りをした。20名もいただろうか、相当の人数だ。
ここは因縁付きの場所で、先日の定例総会でも、そういう場所での市職員の活動はいかがなものかという疑問が投げられた。
私有地に立っている看板を見えるようにするのはいいが、その草刈り清掃を何も交通指導員がやることはないのではないか。
実はそこの清掃活動を市の交通指導員がするようになったのは、その土地の所有者がたまたま当時の交通指導員だったという経緯がある。当人が困っているんだから皆できれいにしてやろうじゃないかというのが当時の考え方だったらしい。
今はその方はすでに交通指導員を退いているけれど、清掃活動そのものは伝統的に続けられている。扱いは、市の交通指導員ではなく、いわば有志によるボランティア活動。
だから、万が一事故に遭っても責任は誰にもない。好きで参加した個人で負担するしかない。
で、私はどうしたか。参加した。参加したのは「困ったときはお互い様」の思いが基本にあった。いくら金を積むかというより、誰が責任を取るかというより、「困ったときはお互い様」の助け合い精神を優先させた。
でも、社会活動はなんでもそうだけど、基本はそこにあるじゃないかな。見返りを求めてはいけないのだと思う。
【きょうの一枚】アオキの赤い実。
庭のアオキの実が赤く色づいている。斑模様の葉影に見え隠れしているが、真っ赤な実だから目立つ。
”あかいとりことり なぜなぜあかい あかいみをたべた”
この童謡は北原白秋が歌詞を書いた。
誰でも作れそうな平易な言葉を並べているが、誰でも作れない。北原白秋でなければ作れない。白秋は、そういう研ぎ澄まされた感覚を持っていた人だった。
【書】凡河内躬恒おおしこうちのみつねNo.1,790)
「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」(意:もし折るならばあてずっぽうに折ってみようか。初霜が真っ白に降りて白菊の花と見分けがつかなくなっているから)
凡河内躬恒は、9〜10世紀にかけて生きた人。下級役人でありながら優れた歌を残した。紀貫之と並ぶ代表的歌人として、宮中の宴に呼ばれたり高官の家に招かれたりした。三十六歌仙の一人で『古今集』の選者。
【ディジタル画】『倫敦塔』その64(No.1,290)
渡辺淳一氏。直木賞作家。
ご趣味の将棋では米長九段と飛車落ちの対局で勝利したことがあるという。また、ゴルフもご趣味で、金井プロらと交流があった由。趣味でもなんでもとことんのめり込むタイプらしい。
近年の中国でも、村上春樹氏と並んで人気のある作家さんなのだとか。
1969年に医師を辞め、翌年から作家活動に専念している。それでも死ねばただの人。顧みてくれる人は誰もいない。
だったらせめて、一度こっきりの人生を楽しむしかない。それがいちばん。
【昭和の風景】墨画(No.510)
絵手紙。「あれあれあのこはずぶぬれだ やなぎのねかたでないている」。
「あめふり」の歌詞。これも北原白秋。
「ねかた」とは「ねもと」のこと。お母さんが傘を持って迎えに来るのを柳の根元で待っている図。
あれ? 泣いてるよこの子。迎えにくるお母さんがいないんだろうか。
【タイムラプス】令和6年6月2日(日)6:03〜7:55の伊豆長岡の空。27秒。
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