いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

七夕の竹に願いを風まかせ(あ)

【きょうの一枚】「なにごともなく平和に暮らせますように」

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 孫娘が七夕の短冊にしたためた願いごと。
 きょうが七夕だということを孫娘の口から聞いて知った。孫娘は、登校する前に色画用紙を短冊に切って、それに願いごとを書いた。何を書こうか、といった迷いはないというふうにさらさらと書いた。
 ということは、それは急に思いついた願いではなく、ずっと前から抱いていた願いだということだ。
 願いを書き終えた孫娘に吊るす場所はないかと訊かれ、庭裏に笹竹が生え出ているからそこへ吊るせばいいと言った。
 短冊を吊るして登校した孫娘を見送ったあと、見てはいけないと思いながら願いごとを見てしまった。
 見て泣けてきた。
 なぜ伊豆で暮らすことになったかを知らないまま伊豆の暮らしを強いられ、急遽の転校を強いられ、波瀾万丈の今を懸命に生きている。これまで歩んできた孫娘の運命がどっと溢れ出て、じぃじの涙腺がつい緩んでしまった。
 自分の人生は自分で選びたい。誰もがそう願う。だけど、自分で選べない人生だってあるということを孫娘が教えてくれた。
 孫娘の願いは、最初、ウクライナのことを言っているのかなと思ったが、どうやらそうでもないらしい。そして、孫娘が短冊に込めた願いを反芻しながら思った。それは、自身に降りかかった運命のことを言っているのではないか。
 孫娘は、少なくともこれまでの生活をちっとも平和だと思っていない。だから、「なにごともなく平和に暮らせる」日が来ることを願って、そのことを短冊に書いた。今思いついたのではない。伊豆に住んでからずっとそのことを思っていたのだ。
 孫娘にとって、どうなることが平和なのだろう。それは判らない。でも、それはきっと孫娘自身が泥だらけ傷だらけになって探すしかないのかもしれない。


【書】「両間」りょうかん(No.1,115)

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 「①天と地のあいだ。②二つのもののあいだ。③小さな部屋のたとえ。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「両」は、左右対称につり合った秤(はかり)の形、一説に秤のおもりの形にかたどる。転じて、重さの単位の名、また「ふたつ」の意に用いる。
 「間」は、門のあいだから月の見えるさまで、門のすきまの意、ひいて「あいだ」の意を表す。


【ディジタル画】『三四郎』 113(No.555)

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 三四郎は4日間インフルエンザで寝込み、5日目に湯に入って美禰子を訪ねる。が、美禰子は会堂(チャーチ)へ行って留守だった。三四郎は会堂へ出向いて美禰子に会う。そして、拝借していた金を返して訊く。「結婚なさるそうですね」。
 女(美禰子)はかすかにため息を漏らす。
 「われは我が愆(とが)を知る。我が罪は常に我が前にあり」。全集注解に「旧約聖書詩篇第五十一篇三節に見える言葉」として、「イスラエルの王ダビデがアモン人との戦いに全軍を出動させた時、部下のウリヤの妻バセテバの美しさに魅せられて彼女を王宮に召し入れ、妊娠させた。そしてウリヤを故意に最前線に出して戦死させ、パセテバを妻としたが、神はこれを怒って預言者ナタンを送り、ダビデの罪を糾弾し神の裁きを告げた」とある。
 この場面での迷羊(ストレイシープ)の繰り返しが効果的。詩的に胸に迫ります。
 「吾妻コート」という和服の上に羽織る防寒具のようなコートがあるそうだ。それを身につけた美禰子をイメージして描いてみました。
 今回もすべてConceptsで描いている。


【タイムラプス】7月7日(木)5:25〜8:39の伊豆長岡の空。24秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/posts/pfbid0t9T6sXZSFbCUHZFMckHFAWW4cmaFLiq4nUsb2qdREyMyZ3mE4LEZ8KmWwz7z8YdQl/?d=n


【新型コロナ】7/7(木)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→45,821(前週同曜日比 +22,479)
重症者数→68(前日比 +8)
累計死亡者数→31,363(前日比 +12)