一二三荘の温泉に浸かっていたら、四コマ漫画のタイトルがパッと浮かんだ。が、今は言わない。デビューの楽しみに取っておく。
トイレに入っているときや、湯に浸かっているときとかに、ちょっとしたアイデアがふと浮かんだりすることはこれまでにも幾度かあったが、今日は漫画で言う、吹き出しにピカッと電球が灯る感じだった。
暗闇の迷路に迷い込んだ先にポッと光明が差したというと大げさだが、これから向かう方向が少し見えてきたような気がした。4年後の古希デビューを目指して、まずはコツコツと作品を描きためて行こうと思う。
年譜によると、漫画界の巨匠・手塚治虫は60歳で亡くなっている。胃癌の病床にあってもなおペンを持って描くのをやめなかったと聞く。最期の言葉は「頼むから仕事をさせてくれ」だったそうだ。かように漫画に対する情熱は鬼気迫るものがあった。
死の直前まで漫画を描こうとするその情熱は、いったいどこから来るのだろう。
だいぶ前になるが、手塚治虫を特集したドキュメンタリー番組を見たことがある。その猛烈な仕事ぶりに、この人はまさに人間を超えていると思った記憶がある。その頃は、私が漫画を描こうという気になるなんてこれっぽっちも思っていなかった。が、ここへきて老後のこれからをつらつら思ううちに、どうやったらこの歳で小遣い稼ぎができるかを考えるようになった。
だから、私の場合、四コマ漫画を描きたいという純粋な思いよりも、小遣い稼ぎのために四コマ漫画を描くという手はあるかもしれないと邪なことを考えた、というのが正直なところ。
絵も書も小遣い稼ぎにならないが、四コマ漫画ならなると思った。だからといって、別に四コマ漫画を軽んじているつもりはない。ただ、作品発表の場として、従来の伝統芸術の絵や書よりも手近な気がしただけ。
これからの社会はますますネットに依存する社会になっていくことは目に見えている。ならば早いうちにその流れに乗って、そこで多少の小遣い稼ぎができればいいと思った次第。世の中そう甘くはないという声も聞こえてきそうだが、体力的な作業が年々厳しくなるのは確実なのだから、年寄りは体力を使わなくとも稼げる方法を考えておかなくてはいけない。
高齢者でも稼げる仕事の一つとして、四コマ漫画を加えてもいいのではないかと思う。そのためにはそれなりの画力と発想力が必要で、それを今から4年かけてコツコツ磨いていこうと思っている。そう思うだけで少なくともあと4年は何が何でも生きなくちゃという気持ちになるでしょ?
【今日の一枚】庭のキョウチクトウ(夾竹桃)。
こちらもサルスベリに負けずピンクの花を今を盛りと咲かす。強い毒性を持ち、体内に入ると心臓発作や下痢、痙攣などを引き起こすという。歴史上でもアレキサンダー大王の軍隊で、夾竹桃の枝を串にして肉を焼いたために兵士が死んだと伝えられるそうだ。でも、夾竹桃の枝はしなやかだから串には向かない。どうやらアレキサンダーの話は、まことしやかな嘘ととらえた方がよい。まあ、それだけ強い毒を持っているから気をつけなさいよと大王の名を借りて注意喚起しているといったところだろう。
【書】「乗(乘)」ジョウ・のる・のせる・つけこむ(No.210)
▼甲骨文
▼金文
もとの字は乘に作り、禾(か)と人と人とを組み合わせた形。木の上に二人登っている形。甲骨文字や金文は禾ではなく、枝が上に伸びている木で、その上に一人登っている形。敵状などを望み見るために高い木に登るのである。甲骨文には望乗という名の部族がみえるが、おそらくそのような任務に当たったのであろう。馬車には四頭の馬をつける定めであったので、馬四頭を一乗という。それで乗矢(四本の矢)のようにいう。馬車で走る勢いは加速するので、勢いにのることを乗ずという。木に登る、乗ることから、すべて「のる」の意味となり、勢いに乗じて「つけこむ、つけいる」の意味となる。<『常用字解』より>
甲骨文は木の上に登るというより、ムササビのように中空を飛行する図。金文は、木の上に登る人と木の枝との境にある野球ボールの縫い目のような線が、何を意味するのか判らないまま書いた。これも木に登る人を表しているのだろうか。だとすると、木に登っている人は3人ということになるが。
【温泉】一二三荘。
「鮎めし」が2箱残っていたので、晩飯に1箱を購入。400円。
【タイムラプス】8月11日(日)6:21〜9:03の伊豆長岡の空。20秒。
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