いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

漕ぐ人のなき鞦韆の日陰花(あ)

平成25(2013)年4月から始めたブログも、なんだかんだで7年目に突入した。

書き始めた当初は、毎日書くつもりはまったくなかった。書きたいときに書く、それでいいやと思っていた。それが毎日書いて6年続いた。若い頃は日記を書こうと思ってその都度挫折した私が、なぜ毎日書き続けることができたか。

それは、その年から伊豆でセカンドライフを始めたからだ。始めてみたら、なんと毎日の楽しいことか。

1年目は藤沢と伊豆を行ったり来たり。この年は藤沢から週に一度秦野に通勤し、仕事が終わった足で伊豆へ向かい、週末に藤沢に戻るということをしていた。9月からは三島にも通勤するようになり(これも週に一度)、月曜は辻堂6:12発の下りに乗って三島へ向かった。秦野の勤務は毎水曜だったから、月曜に伊豆へ泊まった翌火曜は伊豆でゆっくりし、水曜に朝の始発で秦野へ通った。それで、秦野の仕事が終わればそのまま藤沢に戻っていた。

2年目は三島勤務が週三日になったので、基本的に伊豆が中心の生活になった。伊豆から三島へ通い、秦野へも通った。そして週末は藤沢に戻った。

3年目の勤務は修善寺の一つだけになった。月火の週二日の勤務だったが、週末に藤沢に戻るまでは金曜まで伊豆で過ごした。

4年目は慣れない学童(放課後児童教室)の仕事をやった。土曜も勤務があったりする仕事なので、徐々に藤沢に戻る回数が減っていった。

5年目は仕事をすっぱり辞め、囲碁三昧、温泉三昧の、悠々自適の生活を送る予定だった。が、ひょんなことから縁あって市内の中学校に9月からお手伝いに出ることになった。これが毎日の週5日。

6年目も同じ中学校に勤め、前年と同じ週5日通い、年齢が勤務条件の上限に達することで3月で離職した。が、校長先生からスクールサポーター(年齢制限なし)として引き続きお願いしたいと声がかかり、今は、いつから仕事が始まるとも判らない中で連絡を待っているところである。

とまあ、この6年間、毎日いろいろなことがあって、そのいろいろがみんな楽しくて、それをダラダラ書き綴っていたらあっという間に6年が過ぎていた、そんなところでしょうか。

7年目はどんな展開になるか判らないけれど、これまでのように、どんなことでも楽しんでいけたらいいと思っている。読んでくれる人からすればどうってことないブログだけれど、書く私からすると、些細な日常のあれこれをどう書くか考えるのが楽しくて、朝起きてすぐにコーヒーを淹れ、パソコンの前に座ってキーボードを叩くところから一日をスタートさせるのである。

 

【季節の花】スノーフレーク。

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庭の梅の木の枝に手製のブランコがぶら下がっていて、その下にこの花が咲いていた。去年は咲いていなかった。

原産は地中海沿岸地方で、昭和時代初期の導入された球根草だという。こういうのってどうやって運ばれてくるんだろう。

 

【書】「岳」(No.85)

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古い字は、山の上に羊の頭の部分の形を加えたものである。岳は嵩山(すうざん)という山の古い名。この方面には古く羌(きょう)族が住み、嵩山の山の神は伯夷(はくい)で、羌姓の部族の始祖であった。山の上に羊の頭をおく古い字形は、岳が羊を牧畜していた羌族の聖地であったとする神話に基づいて作られたものである。<『常用字解』より>

ということは、丘のパーツは羊の異形であるか。どういう経緯で羊が丘の形に書かれるようになったかは知らないが、甲骨文を見る限りでは、山の上に書かれるのは、どうしたって羊の頭である。

書いて思ったが、この形はどこかトロフィーに似てなくもない。あるいは、『ビッグコミック』連載中の永井豪の漫画「デビルマンサーガ」のアモンが山の上に立っている図にも見える。そんな、想像力を掻き立てる面白さが甲骨文にはある。

 

【温泉】水晶苑。

白髭師匠に4子置いて3局打つ。結果は○●●の1勝2敗。2局目は「ジゴ(引き分け)」で、ジゴの場合は白番を勝ちとする。4局目は対局者が大きな栗畑氏に代わって中押し勝ち。5局目も栗畑氏相手に10目勝ちの2連勝。うふふ、昨日の仇を取ってやった。

 

【タイムラプス】4月3日(水)7:32~9:40の伊豆長岡の空。31秒。

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