いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

賀状書きややの疲れと友の顔

3年前の4月1日から書き始めたブログが、今日のこの記事で999日目になる。明日大晦日の記事がちょうど1000日目だなんて、ちょっと出来過ぎです。
一回の記事を800字から1000字の間で書こうと決めているが、1000字をオーバーしてしまうことも少なくない。書く内容はとりとめのない、だからどうしたといった日常の瑣末なことばかりだけれど、でもその何でもない穏やかな日々がいかに貴重かということを、書きながら噛みしめてもいるのです。
私は今、伊豆に仕事場を持ち、月曜の朝に藤沢から仕事場に出かけ、金曜まで伊豆で過ごして週末に藤沢に戻るという生活を送っている。週末に孫の面倒を頼まれた場合は、孫を伊豆へ連れて行ったりもしている。
伊豆でシニアライフを送ろうと決める前は、福島県の阿武隈に憧れていた。沢の流れる1万坪の広大な敷地で田畑を耕し、ヤギを飼い、イワナを釣って、炭を焼く。そんな自給自足の暮らしができたらどんなにいいだろうと思っていた。そう思って実際に現地の不動産屋に案内してもらって幾つかの物件を見たりもした。そんな最中の2011年3月11日、あの東日本大震災が起こった。
これまで何事もなく平穏に暮らしていた生活が、何の前触れもなく一瞬のうちに消え去ることを、あの大震災は我々に突き付けた。そして原発事故が阿武隈から人を追い出した。もしかしたら、そのとき私もそこに暮らしていたかもしれないと思うと、とても他人事とは思えない。生きたくても叶わなかった人たちのためにも、この世に残った人の一人として日々生きることが私の祈りだと、あれから思うようになった。だから、生きている証をブログに刻むことは私にとって祈りなのです。そう自分に言い聞かせてこれまで書き綴ってきた。そして、それがいよいよ明日1000日目を迎える。
阿武隈を諦めた後、私は生まれ故郷の青森に戻ることを考えた。家は解体されたが更地は残された。近くに住む実兄の許しを得てログハウスを建てようと、ログハウスを扱っている会社に見積もりを出させるところまで話は進んだが、予算の都合がつかず、Uターン計画はあえなく頓挫。
では山形の物件はどうかと検討しているところへ伊豆の話が飛び込んだ。家屋の痛みは随所に見られたが、これまでそれ以上に痛みの激しい物件を見てきていたから、それを基準にしたら伊豆の家は素人修繕だけで十分住めそうな気がした。手の届きそうな価格だし、駅からも歩けるし、何といっても富士山がきれいに見えることで即決。こうして伊豆の暮らしが始まったのである。
ブログを書いた1年目は家屋の修繕が中心で、2年目は三島散策で見つけたランチの店などの紹介、3年目は修善寺の仕事のことやあやめ湯の人情のことなどに話題が移っていった。いずれも身の周りに起こったさりげない出来事ばかりだが、その方針はたぶん来年も変わらない。
さて来年は、どんな話題をブログに書くことになるか。それはまた来年のお楽しみということで。
写真は、やっと書き上げた年賀状。きっと元日には届きませんね。(あ)

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11,435歩。