いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

いにしえの夏見つめてや赤ポスト

津軽の昔話、第4話「鬼の子デク」を語りました。今回はBGMに津軽三味線を流してみました。あまりやかましくならないように音量を抑えてマイクから1mほど離しましたが、どんな具合に聞こえるでしょうか。どうぞ聞いてみてください。収録時間はこれまででいちばん長い8分48秒です。

津軽三三爺譚

今回の収録は結構しんどかった。本に載っている昔話を津軽弁に書き直したらA4版コピー用紙8枚になった。書いている途中で、これ津軽弁でなんて言うんだったっけと何度も立ち止まってはネットで検索する。例えば「額」。ここまで出掛かっているのに津軽弁が出てこない。子どもの頃、当たり前に遣っていたはずなのに出てこない。ああ津軽は遠くなりにけり、である。

ネットには津軽弁を整理してくれているサイトがいくつかあって、それらは昔話を語り始めてから非常に重宝している。今日も世話になった。こういうサイトを公開している人たちは、少しでも誰かのお役に立てればという気持ちで貴重な時間を割きながら更新を続けているのでしょう。全くのボランティアでやっている。ありがたいことです。私も、自分の好きでやっていることが、結果として誰かの役に立っているというのを理想の形に夢見ているのだけれど、現実にはなかなかそう簡単にはいきませんね。

ところで「額(ひたい)」だが、これは津軽弁で「なじぎ」(「な」と「じ」の間に小さい撥音が挟まる)という。おお、そうだった、そうだった。と、その度に思いは遠い昔に走るから作業はちっともはかどらない。語りは途中で何度も噛むし、なんだかんだで今日の収録はまる一日かかってしまった。前途多難です。でも好きでやっていることだからやっていて楽しい。これからも楽しんでいきますよ。

あやめ湯(17:40)3→2人。403歩。

写真は、家から急坂を下り切ったところの交差点。家は軽トラックが上ろうとしている坂の上にある。正面奥の丘に向かって走っている道路が旧下田街道で、写真もその旧下田街道から撮っている。背中が田京駅方面。丘に突き当たって左にカーブし、そのまま道なりに100mほど進んだ先で伊豆箱根鉄道にぶつかる。そこから昨日の記事に載せた写真のような景色が見える。あの昭和30年の写真も、たぶん同じ場所から撮ったのではないだろうか。伊豆縦貫道と国道1号線が三島で繋がってからは、車での藤沢との往復はもっぱらこの道を使うようになった。そうか、この道が踊り子たちの歩いた旧下田街道だったんだ。(あ)

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