いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

鮎釣の里の床屋の古写真

修善寺の帰り、田京の床屋で散髪してもらった。前回初めてここに入ったのは4月8日だから、ほぼ2ヶ月ぶりである。

店に入った途端、入口右の待ち合いの椅子からパッと反射的に立ち上がったのが葉加瀬太郎似の息子さん。広げていた新聞を慌てて畳んでいらっしやいませと言う。なんだか、隠れて煙草を吸っているところを先生に見つかって慌てふためいている生徒みたいでおかしかった。

大鏡に映った私を私と認めてお久しぶりと言う。えっ、私のことを知っていてくれたんだ。来たのは前回が初めてだったのに…。なんか嬉しかった。前回は岸惠子似のお母さんに刈ってもらったが、そのとき息子さんは、隣の席で別のお客さんの髪を整えながら私とお母さんとのやりとりを聞いていて、それで印象に残っていたようなのである。あのときは、お母さんから狩野川台風の体験談とか天城深層水のこととかの話をいろいろ聞かせてもらったのでした。

私が台に座ってほどなくして、小さな男の子を連れた若い女性が入ってきた。すると奥からお母さんが出てきて、若い女性と男の子に挨拶をする。お知り合いらしい。と、今度は鏡の私に向かって、あらお久しぶりと声をかけた。お母さんも私のことを知っていてくれたんだ。そう思うにつけ、いい床屋さんに出会ったという喜びと、この土地の人の心の温かさを感じないではいられなかった。

男の子は私の右隣の台に座った。お母さんが「○○ちゃんとこは、もう運動会は終わったの?」「こないだ△△ちゃんが髪切りに来てたけど、泣かないでおとなしくしてたよ」とか声をかけながら鋏を動かしている。受け持ちの台はお母さんが右、息子さんが左と決めているらしい。それはそうと、こうして小さな子が散髪に来る床屋に悪い床屋はない。伊豆にいるうちは、これからもずっとここに世話になることに、今決めた。

9,066歩。

写真は、床屋で見た写真集に載っていた昭和30年の狩野川の風景。昭和30年ということは、流域に甚大な被害をもたらした狩野川台風の3年前だ。現在の国道136号線(下田街道)がまだ土手だった頃の風景である。それで先日来疑問に思っていた、ならば旧下田街道はどこを通っていたのだろうということだが、それが今日ようやく分かった。やはり伊豆箱根鉄道の山側の道がそれだった。この写真には写っていないが、ちょうど写真右端の切れたところに道があって、それが旧下田街道だった。GoogleMapに載っていた。(あ)

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