いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

喜びは隠しきれないチューリップ(あ)

 JAで公民館使用料を入金し、三島・大場の病院で定期検診。
 自治会会計は2/15で一応決算したが、事務処理は引き続き3月の新旧役員引き継ぎまで行う。
 今日の病院は混んでいた。待合室に入りきれずに玄関に立つ人が出るほどだった。
 定期検診の結果は血圧以外はほぼ横ばい。体重もHbA1cも、前回に比べて下がりもせず上がりもせず。今の数値を下げたいと思っているが、思っているだけで下げる努力をしていない。薬を飲み飲みしながら現状維持ならまあいいか、といったところです。

 血圧はやや高めだったが、一時のことだろうとさほど気にしていない。
 病院近くの薬局で薬をもらって外に出たら、午後5時を過ぎていた。帰りに「村の駅」で玉ねぎと椎茸のインスタントスープを買って帰ろうと思っていたが、店は閉まっていた。どうりで駐車場に車が一台もなかったわけだ。

 いや、一台あった。その車の中からキャンデーの棒を口に加えた男の人が出てきて、店に入ろうとした私に、店は5時までだと教えてくれた。そして、ビッグ○○なら8時までやっているとかなんとか言っているが、よく聞き取れない。私はビッグ〇〇なる店を知らない。そんなことをなぜ私に教えてくれるのかも、店が5時にしまうのを知っててなぜ5時過ぎに来たのかも判らない。世の中はまだまだ判らないことが多い。
 湯屋の帰りに地元の書店に寄って、いずぃなり会のメンバーが読めとすすめてくれた本を探したが、なかった。取り寄せるには10日はかかると言われ、ならばAmazonで買った方が早く手に入ると思い、書店経由で取り寄せるのをやめた。そのことをレジの人に伝えたら、店主らしいレジの人は書籍の流通事情を言っただけで、あとは口をつぐんだ。そこに、Amazonという巨大企業に飲み込まれていく町の本屋の立場を垣間見た気がした。
 早晩、この本屋も商店街から消えることになるのだろう。長年、地元の顔として灯してきた本屋の灯を消さざるを得ない悔しさはいかばかりであろう。レジに立つ人の、その紳士然たる振る舞いに、これも時代の趨勢で致し方がないという諦念が滲み出ているように私には見えた。


【今日の一枚】どこもかしこもチューリップ。

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 玄関アプローチの日陰に植えたチューリップが、うじゃうじゃ芽を出している。さしずめチューリップ畑といったところです。
 植えたのは孫娘。その孫娘も4月からは中学生になる。さて、どんな色の花が咲くか。楽しみ、楽しみ。


【書】「見聞」けんぶん(No.609)

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 「見ることと聞くこと。みきき。また、それによって得た知識。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「見」は、目を主とした人の形。人を横から見た形(儿=じん)の上に大きな目をかき、人の目を強調して、「みる」という行為をいう。→白川静『常用字解』
 「聞」の音符は門(もん)。人を横から見た形の上に大きな耳の形をかいて、聞くという耳の働きを強調した形である。古代の人は耳には、かすかな音で示される神の声を聞く働きがあると考えたのである。→同 


【タイムラプス】2月24日(水)5:52〜7:01の伊豆長岡の空。34秒。

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【新型コロナ】2/24(水)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→1,083(前日比 +342)
重傷者数→491(前日比 −19)
累計死亡者数→7,602(前日比 +54)