いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

大雨の願の糸をスケッチす(あ)

 作家の島田雅彦さんが、朝日新聞(ディジタル版)の「コロナ後の世界を語る」という連載記事で興味深いことを言っていた。

「コロナの巣ごもりによって、眠りの質が変わり、自分の無意識に触れる機会が増えたという人は多いかもしれません。もし、あなたが、これまで書いたこともないのに、にわかに詩でも書いてみようかと思ったり、あるいはふだん描いてもいないのに絵を描き始めたりしたのなら、間違いない。触れてしまったのです、自分の無意識に」。

 私が絵を描き始めたりしたのはコロナの巣ごもりよりもだいぶ前だが、絵を描き始めた具体的なきっかけというのは特にない。ただなんとなく、退職したら何かしたいという意識の欠片が無意識の中にあって、島田氏の言い方を借りれば、あるときそれに「触れてしまった」ということになるのかもしれない。

 私の場合、コロナの巣ごもりではなく、退職後の有り余る時間が「触れてしまったのです、自分の無意識に」ということになるのだろう。

 島田氏は「眠り」を大切にしているそうで、「連続8時間は眠り、昼寝もするので累計睡眠時間は一日10時間に及」ぶという。一日10時間はさすがに眠りすぎだと思うが、作家には、「睡眠中の脳は目覚めているときと違う働きをしていて、それが創作や発想の源泉になっているという自覚があ」るらしい。

 私は夜9時に寝て、朝3時に起きる。睡眠時間はたっぷり6時間。それで精神的健康を保っている。

 そんなに早く起きて何してるの? とよく訊かれるが、私は夜遅くまで起きて何かをするよりは、朝早く起きて何かをする方が頭が冴えるからそうしているだけのことで、他に理由はない。

 ブログは翌朝起きて前の日のことを書く。一眠り間に挟むことによって感情的にならずに済むから。というのは表向きで、実際は、晩酌の酔いに身を任せていると頭の中が心地よいカオスに包まれて、寝ること以外何もしたくなくなるからである。

 ディジタル画は、湯屋へ出かける前に描く。そこで仕上がらない場合は翌朝のブログを書く前に続きを描く。で、大概そうなる。さすがに湯屋へ行く前の30分では画は仕上がらない。

 ブログのネタを探そうと「たて書きコラム」に目を通すのもこの時間。目を通すが、限られた時間の中では「福島民報」までを流し読みするのがやっと。終点の「八重山日報」までにはほど遠い。

 そんなことをしている間にタイムラプス撮影をし、撮った動画を圧縮してFBとTwitterにアップする。

 というわけで、ここで過ごす3時間は、私にとってめちゃくちゃ濃い時間になっている。

 

【今日の一枚】スケッチ3枚。

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 昨日の美術の時間、「雨」をテーマにスケッチするという難題に私も挑んだ。

 水溜りに映る雲の流れを表現しようと思ったが、私の手に負えないのでやめた。やめてこの3枚をコピー用紙にささっと描いた。

 顎マスクをした少女の絵に、どことなく独習中のディジタル画の影響が見られるか。

 

【ディジタル画】布を被った女(No.46)

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 画にタイトルをつけるのに、最初、「ヒジャブを巻いた女」とした。が、よく見ると、前髪はすっぽり覆われておらず、首から胸にかけての露出もイスラム教徒の女性らしくない。で、ファッション性が強い着こなしと見て、単に「布を被った女」とした。

 

【温泉】雨につき内風呂で我慢。

 

【タイムラプス】7月7日(火)4:29〜6:51の韮山方面の雨空。35秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1280749277069766656?s=21