いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

水無月や富士嶺の雲重かりき(あ)

 仕事からリタイアし、純粋な年金生活者になって一年が過ぎた。が、生活は悠々自適とは程遠い。
 一日の過ぎるのがなんと早いことか。この分だと、気がついたら死んでいた、なんてことになりかねない。それほど時間の過ぎるのが早いと実感する毎日である。
 時間に余裕がないというか、あれもしなきゃこれもやらなきゃということがたくさんあり過ぎて頭がついていかない。どんどんやっつけていかないと後から後から新しい仕事が転がり込んできて溜まる。
 そんな中で、ブログだけは毎日欠かさず書いている。不思議だ。辛かったらやめればいいのに……。でも、それをやめてしまうとディジタル画を描かなくなるだろうし、古代文字も書かなくなるだろうことは目に見えている。ブログに載せなきゃという思いがあるからディジタル画を描くのだし、古代文字を書くのだし、タイムラプス撮影を欠かさない。第一、ブログを書くのが辛いと思ったことなどこれまで一度もない。
 というわけで、今はブログを書くことが生活の中心になっている。誰が読んでくれるでもない存在感の薄いブログだけど、でも私にとっては無くてはならないものになっている。書きたきゃ書けばいいし、書きたくなきゃ書かなければいい。
 それでいいんでねえの? かつて同僚だった同郷の師は、そう言うだろうな。


【きょうの一枚】ゴミ収集所。

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 伊豆長岡駅方面に下る坂の途中にゴミ収集所がある。正面に富士山が見える場所だが、あいにくきょうは厚い雲に覆われて見えない。
 毎月第一水曜は「カンの日」。夕飯の買い出しに坂を下ったら、ゴミ収集所にカンとペットボトルがあったので、それで新しい月になったことを知った。
 この写真を撮ったのは13時52分。昼過ぎてもなおゴミ集積所のゴミが片付いていないのは珍しい。もしかしたらまだ間に合うかもしれないと思って、夕飯の買い出しを冷蔵庫に突っ込み、車庫のペットボトルを買い出し袋に詰めるだけ詰め込んで坂を下った。そうしたら、そこへちょうどゴミ収集車がやってきた。よかった、間に合った。


【書】「青雨」せいう(No.1,079)

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 「つゆのころ、青葉に降りそそぐ雨。緑雨。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「青」は、清水やあお草のようにすんだあおみどりの意、ひいて「あお」「あおい」の意を表す。
 「雨」は、一面に雲のたれこめた天から水滴の落ちるさまにかたどり、「あめ」の意を表す。


【ディジタル画】『三四郎』 77(No.519)

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 三四郎が美禰子の家を訪ねる。
 奥からバイオリンの音が聞こえてきた。たぶん美禰子が弾いているのだろう。やがて音が止んで、応接間にかかってある鏡の中に美禰子が姿を現す。そして、言う。
 「とうとう入らしつた」。
 どうやら、美禰子も三四郎が訪ねてくるのをずっと待っていたのらしい。
 美禰子……不思議な女だ。 


【タイムラプス】6月1日(水)5:22〜7:45の伊豆長岡の空。35秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/pfbid0yJEFLjoyyTWFfQ4BR5wC78Bmjh6yBpaxgEaeuVoavUqHs5oUxJCo5vhphcHNxazAl/?d=n


【新型コロナ】6/1(水)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→22,022(前週同曜日比 −10,350)
重症者数→93(前日比 +3)
累計死亡者数→30,622(前日比 +39)