老人会のある人の紹介で、地元夏祭りに急遽出演していただくことになった。名を「めんぼー君」と言う。
どういう方か知らなかった。これまで地元の公民館で二度お会いし、名刺もいただいていたが、一方的に来ていただくだけでは失礼かと思って、今度はこちらから出向いてお話を伺うことにした。
現在、三島市で社会福祉関係の仕事をなさっているらしい。ご迷惑とは知りながら、仕事場までのこのこ押しかけた。で、夏祭り本番の話を煮詰めた。そのとき、エンディング曲らしいのを弾き語っていた男性も夏祭り本番に一曲披露していただくことになった。
話がどんどん膨らむ。人と人との繋がりって不思議だねえ。知らないうちに友達の輪ができてる。
「めんぼー君」がなぜ「めんぼー君」になったのか。その経緯もご本人が持参した絵本で知った。おもしろい。人を飽きさせない。ともかく話術が巧みで思わず引き込まれてしまった。こういう人が教員になればいいんだ。それだったら子どもは飽きない。
自分の誕生が絵本にぎっしり詰まってる。探せばあるんだねえ、こういう絵本が。いるんだねえ、こういう人が。
もしかして、今回は私が参加すると知って、あえてその話をすることにしたってことないよね。だったら、お邪魔虫もいいとこだ。
手元に手頃な絵本がなかったら……どうしたろう。自分で創作したかなあ。私ならしたな、たぶん。
あることないこと着飾って、自分の都合のいいように仕立てたかもしれない。
それって、自叙伝じゃん。自叙伝とどこが違うの?
【書】崇徳院すとくいん(No.1,836)
「瀬を早(はや)み岩にせかるる滝川(たきがわ)のわれても(すゑ)に逢はむとぞ思ふ」(意:川の瀬の流れが速く、岩にせき止められた急流が二つに分かれる。しかしまた一つになるように,愛しいあの人と今は分かれても、いつかはきっと再会するはず)
崇徳院は、鳥羽天皇の第一皇子で、1123年に5歳で天皇の位を譲り受けた。18年の在位の後に近衛天皇に譲位し,鳥羽上皇(本院)に対し新院と呼ばれた。鳥羽上皇の死後、後白河天皇との間で、後の天皇にどちらの皇子を立てるかで対立し、戦となる(保元の乱)。そして、戦に敗れ、讃岐(今の香川県)流され45歳で没した。
【昭和の風景】津軽弁(No.555)
絵手紙。「そただね からきじだば なもかてやねど」。
「そんなに意地張ってるんだったら なにも買ってやんないよ」
【タイムラプス】令和6年7月18日(木)7:19〜8:43の伊豆長岡の空。21秒。
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