どうして、副区長、区長のなり手がいないんだろう。あんなにやりがいのある仕事はないはずなのに。
世の中には思うようにいかないことがたくさんある。だから面白いと思うか、だから嫌だと思うかでその後の歩みが決まる。
私にもやりたいことはある。あるけど、そんなの大したことじゃない。世のため人のために働くことの尊さにまさる”やるべきこと”はない。困っている人がいたら手を差し伸べるのが当たり前な、そんな社会がくればいい。
人生百年の時代が来たと世は騒ぐけど、薬漬けで百年生きたところで何になる? 最新医療に生かされているだけじゃないの?
ああ、長生きしたってろくなことは一つもない。蓄えが無駄に先細っていくだけだ。
【今日の一枚】手斧。
いやあ、きのう(1/6)買ってきた手斧を使ってみたが、それでも木の根は手強かった。
木の根は幹と違って繊維がかなり入り組んでいる。パキンと真っ直ぐに割れない。弱った弱った。
ハンマーを打ち付けて強引に割ろうとしたら、手斧の留め金が弾け飛んでしまった。
そこで、改めて電動鋸で切り込みを入れ、タガネを差し込んで割った。メリメリメリと根の裂ける音が小気味よい。同時に手応えが軽くなる。やはり、最後の頼み綱は手斧ではなくタガネだった。
じゃあ、手斧は何のために買ったの? 一応、薪割りのためだったんだけどなあ。
【書】「常師」ジョウシ(No.1,299)
「きまった先生。特定の指導者。聖人無常師セイジンにジョウシなし<韓愈・師説>」(『旺文社漢字典』第2版)
「常」は、巾(きれ)と、音を表す尚(ショウ。ながい意→長)とで、長い布の意。転じて、長く変わらない、「つね」の意。
「師」は、もと𠂤(タイ。シは変化した音。小丘の形で、人の住む所の意)で、人の居住地、集団の意を表した。のち、帀(めぐる意)を加えて、集団をめぐり教える人、おさの意に用いる。
【ディジタル画】『それから』 十四の四(No.739)
嫂と縁談話をしていて、代助はとうとう言った。
「姉さん、私は好いた女があるんです」。
名前は伏せてあるけど、その「好いた女」が三千代であることは疑う余地がない。
【昭和の風景】23
男の子が肩に担いでいるのが「ぶったい」。
「ぶったい」というのは、「水深の浅い川底に沈め、雑魚やエビを足を使って中に追い込んで捕らえる」漁具のこと。ネットで調べた。
青森の田舎では白魚を盛んに捕って食った。生きた白魚を醤油を入れた深皿に泳がせ、それを食う。「白魚のおどり食い」と言った。
白魚捕り網を雑貨屋で買ってきて、網の両端に棒切れを結えつけ、それを浅い川底にあてがってガサゴソ足でしごいて白魚をおびき寄せた。「ぶったい」とはそれに似た漁具のことか。
でも、青森では「ぶったい」とは言わなかったなあ。なんて言ってたんだろう。単に「白魚の網」とでも呼んでいたか。
(昭和30年)
【タイムラプス】1月7日(土)6:30〜8:51の伊豆長岡の空。35秒。
【新型コロナ】1/7(土)23:55現在(Yahoo!より)
<国内>
新規感染者数→238,605(前週同曜日比 +132,262)
累計感染者数→30,311,796
死亡者数→59,893(前日比 +387)
<静岡県>
新規感染者数→9,475(前週同曜日比 +6,077)