いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

顔ぶれの齢確かめ新年会(あ)

最初に赴任した横浜の高校の新年会があって、戸塚まで出かけた。午後5時半から始まった会の出席者は20余名。昨年に続き、結構な数が揃いました。最高齢は86歳の物理の先生。最年少は現役の副校長先生。
昨年も同じ場所で新年会をやったが、その席で近況報告をした身近の人は、昨年4月に鬼籍に入り今年はいない。それがなんとも寂しくてならない。
この新年会は、私が関わった範囲で言えば、元々は平塚の身近の人のご自宅で始まった。私が平塚のアパートに住んでいた頃である。同僚でも特に気の合う仲間が、川崎、横浜、横須賀から家族連れで駆けつけて昼からどんちゃんやったものだ。日にちも1月3日と決まっていた。
そのスタイルがしばらく続き、ある年から横浜の小洒落た店に場を変えた。身近の人が、ご高齢のお母さんの介護にだいぶの時間を割かれるようになったから。
身近の人を囲む形で始まった新年会は、こうして身近の人が参加しなくなり、それが数年続いた。それである年、身近の人がいない新年会だったらやってもしょうがない気がして、当時の幹事にもそのことを言い、参加を見送ったことがあった。
そうしたところへ、身近の人がお母さんの介護もひと段落したので参加できるようになったとの報を受けた。それで私も、ならばと再び新年会に顔を出すようになった。
そして去年、幹事が代わり、その幹事繋がりで声かけをしたら、参加人数が一気に20名を超える大所帯に膨れ上がった。声かけは主にLINEを通して行なったらしい。私も去年、遅ればせながらそのLINEグループに加えてもらった。参加人数が一気に膨らんだのはLINEでのやり取りが奏効したのかもしれない。
それにしても、これだけの人数をまとめるのは大変だろうに、それをちっとも苦に思わないようなところが今の幹事さんにはある。よくぞ集めたものよと恐れ入る。
懐かしい顔ぶれとの昔話は尽きず、全員の近況報告がまだ終わらないまま予定の2時間があっという間に過ぎ、これじゃ終われないと時間延長してのお開き。私は店から走ってぎりぎり下り沼津行き20:41に間に合った。

この新年会が今後何年続くか判らないけれど、ああ、あの人が亡くなったこの人が亡くなったという報告の場になるだろうことを思うにつけ、明日は我が身と心して、今のうちにやれることをやっておかなくちゃと思ったことだった。


【写真】すっかり様変わりした戸塚駅西口と、駅東口の昔ながらの飲食長屋。

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あのションベン臭い横丁の面影はすっかり消え、こんなお洒落な駅前になった。

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一方、東口に回ると、昔ながらの呑兵衛長屋が残っている。今回の会場はこの2階の「生味園」という中華料理店。安くて(コース一人3,000円)ボリューム満点で、テーブルは家族連れで埋まっていた。


【書】「黑」(No.14)

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「黒」の旧字体。上部が煙出しに煤が詰まった状態の象形で、下部が燃え上がる炎の象形。
書いた字を見ると、ねずみ男の子供が顔に煤を塗って、ヒョコヒョコ歩いているふうにも見えてユーモラス。
右下の金色のシミみたいなのはなんだろう。書いている時はテンプレートのメニューに隠れて判らなかったが、なんかの加減で手が画面に触れたのかもしれない。それも一つの偶然の味ということで勘弁。


【タイムラプス】1月19日(土)7:17〜9:37の伊豆長岡の空。34秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10218435234374351?sfns=st