いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

万葉の恋や馬酔木の咲き初むる(あ)

6校時の国語の授業で俳句を扱った。
昨日、NPO法人「えーる」で見たこと感じたことを五七五にまとめよと課し、例えばこんな具合にと「作業所の笑みとこしへのバレンタイン」という作りたての私の句を板書した。子どもたちの反応は、ない。ぽかんとしている。
「とこしへ」の意味が通じないかのかと思い、永遠にずっとという意味の昔の言葉だよと説明すると、「なんで昔の言葉を使う?」となかなか鋭い質問が返ってきた。「俳句では伝統を重んじるからだよ」と、答えになってるようななってないようなことを言い、「昨日行ってきた『えーる』で働く人たちの笑顔がこれからもずっと続きますように、その笑顔が私にはバレンタインにもらったチョコのように嬉しかったよ、という気持ちを詠んだんだけど」と言ったが、やはりぽかんとしている。
それでもめげずに、嬉しい、楽しい、優しい、美しい、とかの言葉を使わないで、そういう雰囲気を感じさせるように五七五のリズムにまとめてごらんと促す。
なかなかまとまらないようなので、別に「えーる」のことでなくてもいいよ春の季節が感じられるものならと修正。そうしたら二句三句とノートに書き出した。それでできあがったそばから私が読み上げ、ここをこうしたらいいとアドバイスしながら作るヒントを示す。
ただ、一人だけ全くお手上げ状態の白紙の子がいて、その子は昨日、ポリバケツの水に張った氷を両手で持ち上げ、車のハンドルのように回して遊んでいたのだったが、その子に「うすごおり」という言葉を使ってその時の気持ちをまとめてごらんとアドバイスしたら、「うすごおり何もない書くこと何もない」と書いた。書くことがまとまらない中で書いてごらんと言われて書いたといったところか。私は「何もない」の繰り返しが面白いと感じて「うすごおり何もない何もない」としてみたら山頭火に似た味わいが出るかとも思ったが、その子には言わなかった。というか、その味わいをどう伝えたらいいか判らなかった。

【写真】庭の馬酔木。

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白い壺状の花が咲いた。
梅の真下にある。数年前に一度剪定して丈を低くしたつもりだが、以後手入れしないうちにどんどん成長して今や梅の枝を覆い隠す勢いである。
この馬酔木、放っておけば4mにもなるというから、梅のためにもそろそろ成長を止めねばなるまい。
万葉集に馬酔木は222首歌われているという。そのうちの一首。
「我が背子に我が恋ふらくは奥山の馬酔木の花の今盛りなり」(巻10)
(あの方に私が恋う思いは、人知れず奥山に咲く馬酔木の花のように、今こんなに盛りであることだ)
作者は不明だけど、「背子」だから女性が詠んだ歌ですね。「奥山」で、人に知られずひっそりと密かに、の意が加わる。素直な歌いぶりで一途な恋心が伝わってきます。それに倣って私も一首。
我が庭の馬酔木の花の咲き初むる頃ぞ思はん来し方の道(あ)

【温泉】一二三荘。

【タイムラプス】2月15日(木)6:15〜7:51の伊豆長岡の空。23秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215579627825972/

【歩数】3,979歩。