【写真】伊豆地区囲碁大会の新聞記事。
看板氏が私に見せたいとわざわざ水晶苑まで持ってきてくれた。看板氏は、「私は囲碁のことは分からないが」と前置きし、「この新聞に紹介される人のように、大会に出て活躍してください」と平気で言うから弱る。そんな棋力があればとっくに出ている。
それにしても、ローカルな囲碁大会の記事にしては破格の扱いである。これ、大会前日の新聞記事ですよ? いくら主催が地元新聞社だからといって、大会出場者の紹介に丸々1ページ充てるなんて、なんとも驚き桃の木びっ栗の木です。
伊豆というところは、囲碁文化がそんなに浸透しているのだろうか。「伊豆本因坊戦」と大会名に「本因坊」を語っているということは、「伊豆」と「本因坊」とはどこかで繋がっているのだろうか。もしかして、「耳赤の一手」で有名な本因坊秀策は伊豆の出身?
「伊豆」と「本因坊」が繋がるとしたらそこしかないと思ってネットに当たってみた。こういうちょっとした疑問を簡単に調べられるところがネット検索の良さだ。そして、そういう疑問に対して答えを提供してくれているサイト(人)がちゃんとあるというのが、これまた素晴らしい。私もいつも疑問を調べるだけの人ではなく、いつかは答えを提供できる人になりたいと思うが、それはまだまだ先のこと。
話を戻そう。「伊豆」「本因坊」で検索したら、トップに「本因坊秀和」と出た。私の知っている「耳赤」の秀策ではなかった(ちなみに本因坊秀策は尾道出身)。
「本因坊秀和(文政8(1820)年〜明治6(1873)年)は、江戸時代の囲碁棋士、本因坊家十四世本因坊秀和。伊豆国出身」とWikipediaにある。続いて2番目に「本因坊丈和」が出た。こちらは十二世本因坊。同じWikipediaの説明によると、生地は明らかでないとしながらも「伊豆説が有力」とある。
そして、3番目の検索結果が「最福寺-伊豆市観光情報」。それで思い出した。恋人岬の近くの寺に「本因坊某」の碑があるということを。その寺に立ち寄ったことはないが、道の案内板に「本因坊」の字を見かけていた。その時は「本因坊といえば秀策」という頭しかなく本因坊秀和の名はまだ知らなかった。
「伊豆市観光情報」のサイトによると「境内には当地出身で近代碁の創始者ともいわれ囲碁殿堂入りした14世本因坊秀和の顕彰碑(中略)がある」という。
これで「伊豆」と「本因坊」が繋がった。伊豆は本因坊と所縁の深い土地だった。それで伊豆地区の囲碁大会を「本因坊戦」と呼んでいるんだな。
疑問の一つは解決したが、もう一つの疑問である「伊豆は囲碁が盛んな土地なのか?」がまだ解決していない。でも地元新聞でこれだけ囲碁大会を大々的に扱うところから推して、昔からそういう土地柄だったのかなあとはおぼろげながら感じるところではある。
そのあたりは、囲碁サロンでのお付き合いの中でおいおい知ることとなるのかもしれない。
【淡彩画】親子連れ(No.114)
ポイントは「歩き方によって異なる見え方に注目することが大切で、左右の足を単純に二本並べて描くと立ちすくんだような形になってしまう」こと。
風景の中の人物は、個々をあまり丁寧に描き込まずに、不定形に描いた方が風景に溶け込む、ということですね。
【水晶苑】15:13〜16:18
【タイムラプス】6月26日(月)6:16〜8:50の伊豆長岡の空。38秒。
https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10213449884423718/
【歩数】904歩。