いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

雪の富士ここ一番の見得を切る

今朝はいちだんと冷え込んだ。昨日あやめ湯で、明日はぐっと冷え込むそうだからきっと真っ白い富士山が見られるだろうとマイ桶氏と話したとおりの、きれいな富士山が家の前から見えた。

風が強く冷たい。コートのフードをすっぽり被って乱れる髪の毛を落ち着かせる。通勤路の途中のゴミ収集所で腰の曲がった頰被りのおばあさんとすれ違った。頰被りとは珍しい。頰被りのお年寄りは故郷の青森では普通に見かけたけど、青森を離れてからはとんと見かけなくなっていた。思わず懐かしさがこみ上げる。頭から角巻を覆い、吹雪の中を黙々と歩く雪国のおばあさんたちの姿と重なった。

寒いですね。おばあさんに声をかけたが反応がない。おばあさんは通勤の車が通る道を、右左を確かめずにマイペースで横断していく。私の声がくぐもって聞こえなかったのかもしれない。でもこうして寒い朝でもゴミを捨てに外へ出られるのは何よりです。

年恰好は八十後半と見た。一人で暮らしているのだろうか。老いてこの坂道はきつかろう。いや、きついと見るのは周囲の目で、本人には案外気晴らしになっているのかもしれない。

昨今は高齢者に対して至れり尽くせりのサービスが提供されるが、本人にとってそれらのサービスを受けるのが果たして幸せなのかどうかは分からない。冷暖房完備のコンクリートの建物の中で、計算されたカロリーの食事を朝昼晩いただき、規則正しい起床就寝を強いられ、入浴は介護の手で背中を流してもらい、何か体に異変があればすぐに医者に診てもらえる…。周囲はそれを最高の介護サービスと見るのだろうが、本人はそう見ない。自然のまま、あるがまま、わがままに年を老いたいのである。

人はいつか必ず死ぬ。この世に生まれてくるときは時代も国も親も選べなかったが、せめて死ぬときくらいは自分らしく死にたいと願っているのである。

写真は、職場3階から見た今朝の富士山。左の岩肌は城山(じょうやま)。授業の振り返りシートのコメントには、この雪化粧をした富士山のことが多く書かれていた。この地に生まれ育った子たちにも、今朝の富士山は格別の美しさだったようです。「真っ白な雪化粧した富士の山どこか感じる優しい微笑み」と歌を詠んだ子も。それに対する返歌「富士山を優しさと見るその目こそ優しい人の心なりけり」。(あ)

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16,058歩。