いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

自然薯の根の先までも寒の内

あやめ湯からの帰り、ビッグコミックを買うために踏切横のコンビニに寄った。このコンビニは地元の新鮮野菜が欲しいときによく立ち寄る。この前は、近所で小さな民宿を営んでいる女将さんが大根を二本買っていった。

今日行ったら、1mを超える長さの根菜が三本立てかけてあった。最初牛蒡かなと思ったが、周りをぐるり茅のようなものでくるんであるのは、牛蒡にしてはちと大仰すぎる。何だろうと近寄って見ると、それと同時に店員が近づいてきた。

自然薯です。一本1,600円です。高いですよね」と店員が言う。自然薯なんて買ったことないから、1,600円が高いかどうかは分からない。夏は同じくらいの価格で西瓜が並び、こちらはよく売れる。でも自然薯はどうだろう。コンビニで扱う商品としては特殊だし、西瓜みたいには売れないよなあ。わざわざ自然薯を求めてコンビニに寄る人がいるとも思えない。置くとしてもせいぜいがキクイモくらいだ。キクイモだったら一度に二袋買ってもいい。それを塩漬けにすれば酒のつまみになる。

コンビニに地元の採れたて野菜を置いてくれるのはとてもありがたい。買おうと思えばスーパーでも買えるけれど、スーパーは品数は豊富だが行くとつい余分に買ってしまうのが難点。特に賞味期限ぎりぎりの商品が半額だったりすると、片っ端からカゴに入れて食べきれずに賞味期限が切れてしまうことはしょっちゅうだ。その点コンビニは単品一つでも買いやすい。コロッケ一個だって豆腐一丁だって気楽に買える。そこがコンビニのいいところだ。

さて、この長い根菜が自然薯だと知って真っ先に思い浮かべたのが、三浦哲郎「じねんじょ」(新潮文庫『みちづれ』に収録)という作品。私の中では最高峰に位置する短編小説です。

四十女の芸妓(小桃)が、街のフルーツパーラーで初めて実の父親と会い、二人は飲み物を注文する。

……

「お前(め)は、なんにする?」

ウェイトレスに手を上げて父親がいった。

「父ちゃんは?」

小桃は思わずそういって、うろたえた。いい齢をして、忽ち涙ぐんだからである。

「我(わ)だらクリーム・ソーダせ」

「んだら、おらもクリーム・ソーダ」

と、四十女が椅子に軀を弾ませていった。

……

そして、二人がパーラーを出て別れるシーンでは、

……

「そうステッキみたいに持って歩いちゃ、なんね。じねんじょの命は根っこの先にあってな。途中で折らずに、根っこの先まで掘り出すのが礼儀なのせ」

……

「じねんじょ」は、父娘の細やかな情愛が、さりげない仕草や会話に結実している第一級の作品です。(あ)

f:id:jijiro:20160112185421j:plain

あやめ湯(18:08)5→3人。

14,646歩。