いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

幼子に絵心もらうお年玉

昨日は少し調子に乗って呑み過ぎた。午後2時に始まった横須賀での新年会だったが、そこからどうやって帰って来たかの記憶がみごとに飛んでいる。おまけに手土産を入れて持って行ったショルダーバッグをどこかに置き忘れてきてしまった。中に電車で読もうと思っていた本となぜかタオルが入っていた。たぶん新年会をやった横須賀のお宅へ置き忘れたと思うが、帰りの電車の中かもしれない。ともかく記憶がない。

iPhoneアプリMovesを見ると、新大津から横浜乗り換えで辻堂まで戻ってきたことになっている。家に着いたのが0:22。8時間呑みっ放しの混濁朦朧とした状態でよく辻堂で下りられたものよと我ながら感心する。しかしまあ、まったくいい年こいて何やってんだか。自分でも呆れ返る。これじゃ糖尿病なんて治るわけがない。

目が覚めたのは午前9時半を過ぎていた。そこへいきなりカミさんが「午後4時から孫を預かることになった。明日は仕事がないので(孫を)伊豆に連れて行くけど」と言ってきた。たった今、小田原の娘からメールがあったという。今日は午後から池波正太郎の本を片手に東京の下町でもぶらり歩き、明日はテレビで高校サッカー選手権決勝を観戦しようと思っていたのに、その目論見はいともたやすく孫に食われてしまった。

この時期は箱根峠の凍結を嫌って伊豆まで車を走らせたがらないカミさんだが、今年は暖冬で凍結の心配もないからと即決したようだ。あんなぼろ家にかけるお金なんてないわよと口では言いながら、なんだ自分だって伊豆に行きたいんじゃないか。素直にそう言えばいいのに絶対言わない。昔からずっとそうでした。

誰もいない小田原の家に上がり込み、孫が戻ってくるのを待つ。孫は午後4時までミニバスケの練習とのことだった。二人がお揃いの練習着のままママの運転で戻ってきたのが4時半。明けましておめでとうのお年玉を二人に渡していざ伊豆へ。

箱根新道に入る頃にはすっかり暗くなっていた。暗くなってから伊豆へ向かうのは初めて。孫は二人ともミニバスケの練習で疲れてしまったようで箱根を越えるまでずっと寝入ったままだった。

伊豆の家に着いたのが午後6時半。ひと眠りして元気を取り戻した孫たちがまずやったこと、それは私の描いた砂絵を消し去ることでした。30分かけて描いた絵がたった1秒で無きものになる。砂絵を孫に見せた時点でそうなることは火を見るよりも明らかだったわけで、まあしょうがないですね。それよりも、やりたいやらせてと興味に火がついたことが何より嬉しい。(あ)

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3,664歩。