いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

子の未来守る山里鯉幟

いつもなら金曜のうちに藤沢へ戻るところだが、湯ヶ島温泉「河鹿の湯」の余韻をもう一晩伊豆に留めておきたくて、戻るのを今日に延ばした。

自転車の盗難に遭ってから、急坂を猛スピードで下るスリルを味わえなくなったのは寂しい限りだが、代わりに道端の野花を見ながらのんびり歩く楽しみを得た。今日は久し振りに伊豆長岡駅まで狩野川の土手を歩いてみた。川風がなんとも心地よい。それに富士山が正面にでんと聳える。白い頂に黒い筋がだいぶ這うようになった。初夏の富士である。薫風爽やかな季節となりました、皆様いかがお過ごしでしょうか。そんな紋切り型の挨拶を口ずさんで陳腐に思わない。口ずさんで遠くの友を思う。この同じ富士山を遥かの友は見ているだろうかと思う。

富士山は四季折々の顔を見せてくれる。その顔のどれもが私を陽気にさせ元気にさせる。この4月から職場が修善寺になって朝の富士山を背にするようになったが、今日は久々に愛しい人に会ったようで心うきうきした。

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徒歩13,685歩。

写真は、昨日、湯ヶ島の「河鹿の湯」を堪能した帰りの山里に見つけた鯉幟。端午の節句間近だから見つけたというほどのことでないかもしれないが、いやしかし正直なところ、大きな鯉幟の泳いでいる姿を、湯ヶ島へ行くまでの間にいくらでも見られると思っていた。真鯉緋鯉が悠然と泳ぐ昔ながらの風景を期待していた。ところが、修善寺を過ぎ天城小学校前を通って月ヶ瀬へ抜けても一本もない。意識して周辺に目を向けていたつもりだったが、とうとう湯ヶ島温泉にたどり着くまでに一本の鯉幟も見ることはなかった。かくして少子化の波は下田街道の集落からも完全に鯉幟の姿を消し去っていた。

そんなはずはなかろう、どこかにきっとあるはずだと、帰りは来た道とは逆の狩野川右岸を下った。そうしたらあった。ようやく見つかった。狩野川沿いの農家の、道を挟んだ向かいの畑に泳いでいた。金色に縁取られた鱗が初夏の日差しに反射してきらきら光っている。奮発して新調したのだろう。初孫の初節句だろうか。真っ青な空と新緑の山を背景に気持ちよさそうに誇らかに泳いでいた。次代を担う全ての幼子の健やかな成長を願ってパシャ。(あ)

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