いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

踊り子の足跡消えて夏の富士

今日、弟ブログ「津軽三三爺譚」をささやかながら公開した。新しい生きがいに、とうとうその第一歩を踏み込んだ感がある。こうなったらもう後へは退けない、そんな思いだ。

津軽三三爺譚

「三三爺譚」の読み方だけど、「さんさんやたん」とでも読んでください。意味は、爺が語る昔話くらいの意味です。「三三」というのは、私の高校三年の時のクラスが三組で、そのときに一緒に過ごした仲間たちとの濃い付き合いに感謝したいという気持ちと、ブログのアドレスが「ai33(愛燦々)」であること、それに、お手を拝借三三七拍子の「三三」で景気づけを重ねた。名前をもじって「二六」も当ててみたが、どうも締まらないので「三三」に落ち着いた。「さんさんやたん」って撥音が連なるから弾む感じがあっていい。と勝手に思っている。

私の体に染み付いている津軽弁は、その源のほとんどが母親である。だから、基本的に女性言葉である。女性なら絶対に遣わない男性言葉、例えば「きやばつ(非常にまずい)」などは父の弟、つまり叔父から拾ったりしたが数はそれほど多くない。父は元来寡黙で、無駄口はほとんど話さない人だった。しかも私の言語形成期は雇われ船頭として、漁期には北海道や秋田に出稼ぎしていて、家にいるのは冬場だけだった。その父が口癖のように言っていた言葉に「ゆるぐね(簡単ではない、きつい)」があるが、これは北海道の方言で津軽弁とは違う。

臼田甚五郎著『津軽百話』(津軽書房)に収録された津軽弁には、私の知らない語彙がかなり多くあった。どう発言するのか私にも分からない。そういうふうにこれからは益ます津軽弁は話されなくなっていくだろう。だからせめて、私の体の中に宿っている津軽弁だけでも音声として残しておきたい。これが私の新しい生きがいである。生きる目標である。

7,025歩。

写真は、狩野川の逆さ富士。今日の昼、藤沢に戻るために伊豆長岡駅向かう途中で撮った。狩野川と下田街道と駿豆線がピタッと並ぶ、私のいちばんお気に入りのシャッターポイントである。4月に見つけた田京の床屋に古い写真集があって、その写真集にこの場所の昔の風景が載っていた。それを見ると、今走っている下田街道は狩野川の土手になっていた。すると、伊豆の踊り子たちが歩いた当時の下田街道は、今のどの道になるのだろう。駿豆線の一つ山側にもう一本、韮山に通じる道があるが、その道がかつての下田街道なのだろうか。もしそうだとすると、駿豆線とピタリ並んでいた道が大きく山側に迂回した後に、どのように田京駅前の旧下田街道につながるのかが分からない。その区間だけ私の頭に昔の地図がまだできていないのである。(あ)

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