いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

蛍を見に行った

秦野へ出勤。6月上旬だというのに、既に真夏のような暑さが続いている。とはいえ、それは日中の話。朝、家を出る5時半は、上着を羽織ってちょうどよいくらいの気温で、吹く風が心地よい。自転車で韮山駅まで出ようと思ったが、帰り、雨に降られるかもしれないというのが気にかかって、いつもの伊豆長岡駅に停めることにした。この、伊豆長岡駅という名称、何とも長たらしくて言いづらいと思っていたら、地元の人は略して「ナガエキ」と呼ぶということを知った。韮山駅は「ニラエキ」。FMいずのくにの地元出身のパーソナリティがラジオでそう言っていた。なるほど、これなら言いやすい。ただ、この略称は地元の人同士の会話でしか通じないだろうな。この地に世話になってまだ2年にもならない私には、その略称を使う資格がないというか、それを日常会話に溶け込ませるほど地元の人と話す機会は多くない。ここは、自分の中に熟成するのをじっくり待つしかない。

朝、韮山駅に自転車を停めるようになったことの一つは、運賃が30円安くなるということ(せこい)と、駅前に韮山図書館があって、ここが月曜に開館しているということがある。月曜の仕事は午前の90分一本だけだし、ゆっくり昼食を摂っても、午後はまるまる図書館で過ごせるのが魅力。岩波書店新日本古典文学大系がなぜか置かれていないのは残念だが、代わりといってはなんだが、井上靖全集がある。今週は、この井上靖全集の第一巻に収録された詩を、iPadEvernoteに7編ほど保存した。井上靖の詩は散文詩で、読みようによっては、極上の掌小説とも取れる。かつての小説家志望者は、こぞって志賀直哉の文体を筆写したというが、もし今、同じような志を持つ人がいたとしたら、断然、井上靖の文体を学ぶべきである。井上靖の文体のバックボーンは詩である。長編の隅々にまで詩が流れている。無駄なところなど一つもない。
夜、韮山反射炉の脇を流れる小川まで蛍を見に行ってきた。先日行ったときはたった一匹しか飛んでいなかったが、今日行ってみたら、20匹は優に超える数の蛍が幽玄な舞を見せていた。人工的な光に慣れてしまった目には、この自然の織りなす奥深い光は却って新鮮に映る。ポッと光を放ってはスッと闇へ消えていき、見えない軌跡の少し先でまたポッと光をおいて行く。百年前も千年前も、同じこの川の上で、この蛍の先祖が愛を語り、飛び交っていたのだろうか。5,855歩。
写真は、ホタル観賞の足下を照らす人工の光。この右側の闇に蛍がいるんですが、見えますか? 千年の闇の深さの蛍かな(あ)
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