#いずぃなり2025_12
生きているうちに自分が入る墓を決めて義父は逝った。
墓参りの人が楽しく語らえるようにとどこからかベンチを調達してきて、「ここが俺の墓だ」と、自慢気に語らっていた。豪傑の人だった。自分が死んでから後も、あれこれ世話を焼く人だった。自分のことは自分で何とかする、後の世の人には迷惑を掛けないという気骨があり、そのとおり実践した。
「先祖代々」の墓は好んで選ばなかったようだ。先祖代々の墓に入らないと決めていたらしい。それも義父らしくていいや
「生きざま」という言い方はない。「死にざま」ならある。どうやって生きるか、ではなく、どうやって死ぬか、それが大事ということなのだろう。ぴんぴんころりといきたいが、こればっかりは、どもならん。
【書】『徒然草』第二百段
(刊・正保2)模写

訳(吾妻利秋)
呉竹は葉が細く、河竹は葉が広い。帝の御座所の池にあるのが河竹で、宴会場に寄せて植えられたのが呉竹である。
【昭和の風景】
「津軽弁」

「えぐねごとへば ぶすかるでばな。」(良くない事をすれば 怒るでしょうよ。)の意。
【タイムラプス】
令和7年12月6日(土)8:14〜11:29の伊豆長岡の空。23秒。