酒は呑んでも呑まれるな。若い頃はもっぱら介抱する側にまわっていたが、年をとるにつれて次第に介抱される側になってきた。まったく情けないったらありゃしない。
家で呑む分にはそんなことはないが、外へ呑みに出るとなると途端にそうなる。この前なんかも、気がついたら千鳥足で坂を上っていた。
まさかまさか、そんなことになろうとは思ってもみなかった。人には迷惑をかけないと言っておきながら、しっかり迷惑をかけている。人が見たら目も当てられない有様だ。
ほんと、酒に弱くなったなあ。
これじゃ一緒に呑みにもいけない。恥ずかしくて呑みにも誘えない。
静かに月と晩酌を嗜み、酔いにまかせてゴロンと横になる。せいぜいそれくらいなら許されてもいいんじゃないの? おやっ、独居粋人を気取ってるよ、この人。
【書】『野ざらし紀行』 2(No.2,024)
「 絵 関こゆる日は雨降て、山皆雲にかくれたり。 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き 何某ちりと云けるは、此たびみちのたすけとなりて、万いたはり、心をつくし侍る。常に莫逆の交ふかく、朋友信有哉、此人。 深川や芭蕉を富士に預行 ちり」
(訳:箱根の関をこえた日は、雨が降って、山はすっかり雲に隠れていた。 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き(霧雨が降って、あたりは煙るようである。日ごろなら見えるはずの富士の山容も今日は雲に隠れてみえない。しかし、この風興もまた格別である) 某氏千里という人は、今度の旅の道中の力となっ何くれと私をいたわり、心を尽くしてくれる。ふだんから心を許した付き合いが深く、友だちに対し真実のある人であるよ、このひとは。 深川や芭蕉を富士に預行(深川草庵の芭蕉は心残りであるが、しばらくの間、その庭前から眺められる富士山に預けて行くよ) ちり)
【昭和の風景】津軽弁(No.724)
「こたごと ださも しゃべな。」
「こんなことは 誰にも 話してはいけません。」の意。
【タイムラプス】令和7年1月17日(金)6:35〜9:52の伊豆長岡の空。24秒。