いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

独り身の孤高の旅をあやめ草(あ)

 芭蕉の説く「かるみ」をめざすも、なかなかそう簡単にはいかない。

 身にまとう重たいものを脱ぎ捨てて、身軽になったところで言葉をひねろうとするが、ひねろうとすればするほどわけがわからないものになっていく。ことほどさように「かるみ」は得体がしれない。

 芭蕉は重たいものをたくさん持っていた。そして、それらを削ぎ落とした先に「かるみ」があった。一つひとつ削ぎ落とすのは並大抵のことではなかったろう。でもやるしかなかった。誰に相談するでもなく、それを黙々とやるしかなかった。

 「秋深き隣は何をする人ぞ」。これは、芭蕉生前最後の作といわれる。寂寥たる晩秋の気配を感じながらもなお隣家の住人の動向を気遣うところに芭蕉の真骨頂があるような気がする。その人間臭さを捨てきれないところに芭蕉の芭蕉たる所以があるのだろう。でも、作ってみて、その難しさがよく判る。

 作れない。簡単そうでいながら、作るとなると難しい。

 でも芭蕉は、それを目指していたのではなかったか。

 

【書】『おくのほそ道』56(仙台3)(No.1,9123

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「且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。 あやめ草足を結ん草鞋の緒  」(訳:また、紺染の緒をつけた草鞋を二足、餞別にくれた。こんな気のきいたことをするとは、ただ者でないと知り合った時から思っていたが、まさにここでその実を現した。で、次の句を詠んだ。 おりから端午の節句なので、家々の軒にはあやめ草が挿してある。私は、紺の染緒の草鞋を餞別に餞別としてもらったが、もとより一所不住の身で、あやめを軒に挿し、邪気を払うことはできないから、せめてこの草鞋の緒にでもあやめ草を結んで、旅中の無事を祈るとしよう )

 「あやめ草」とは「しょうぶ」のことで、夏の季語。邪気を払うため端午の節句に家々の軒に挿す。風流人の加右衛門はそのことを心得ていて、旅の無事を祈って紺の染緒の草鞋を芭蕉に贈った。受け取る芭蕉も、当然その意味を知っている。だから感謝を込めて句に詠んだ。


【昭和の風景】津軽弁(No.613)

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絵手紙。「そへば えへるね。」

「そんなことしたら、すねるよ。」の意。

 

【タイムラプス】令和6年9月26日(木)5:20〜11:05の伊豆長岡の空。21秒。

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