いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

朝夕に鳴く来し方や虫の秋(あ)

 朝夕、虫の声をとみに耳にするようになった。コオロギが鳴く、何だか判らないが虫が鳴く。

 夏から一気に冬になって、一体秋はどこに行ったんだという具合になりはしないかと心配していたが、この分だとその心配もどうやら杞憂に終わりそうだ。秋は秋として、日本の風景に彩りをそえている。日本から秋がなくなったらどうしようかとまじめに心配していた。

 オフコースの歌に「僕の贈り物」というのがある。♪夏と冬の間に 秋をおきました だから秋は少しだけ 中途半端なのです♪

歌われるまでもなく、暑くもない寒くもない、まさに中途半端な秋だからこそ、日本人の感性がそこで育まれたと思っている。日本人の豊かな感性を育むためにも、秋はなくてはならない四季なのだ。夏に負けるな、冬に負けるな。

 

【書】『おくのほそ道』52(岩沼1)(No.1,911)

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「武隈の松にこそ、め覚る心地はすれ。根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。先、能因法師思ひ出。往昔、むつのかみにて下りし人、この木を伐て名取川の橋杭にせられたる事などあればにや、「松は此たび跡もなし」とは詠たり。」(訳:岩沼に泊まった翌朝、武隈の松を見ると、印象鮮明で、朝のまだ眠い目が覚めるような気がした。松は土の生え際から二本の股に分かれていて、昔から二本の松として歌などに詠まれているころの姿を失わないでいることがわかる。この松を見ていると、まず都から下って来てこの松の歌を詠んでいる能因法師のことが思い出される。そのころ、陸奥守としてこの地へ下って来た藤原孝義という人が、この木を伐って名取川の橋杭にされたことがあったからか、能因法師が二度目にこの地へ来た時は松がなかったので「松はこのたび来てみると跡かたもない」と歌に詠んでいる。)

 これも敬愛する能因法師の足跡をたずねて。武隈の松は二本の松として古くから歌に詠まれたが、能因法師が二度目に訪れた時、その松はなかった。その経緯のあらましを芭蕉は知っていた。まったく、“歩くるるぶ”みたいな人だ。

 

【昭和の風景】津軽弁(No.599)

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絵手紙。「おへぐなるばて まづでろ。」

「遅くなるけど 待っていてください。」の意。

 これに「わんつか(少し)」を加えるバージョンもあるけど、あえて加えなかった。


【タイムラプス】令和6年9月22日(日)6:53〜9:26の韮山方面の雨空。38秒。

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