いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

教へ子の手作りパンの秋気かな(あ)

 郵便受けに一葉の喪中ハガキが入っていた。

 胸騒ぎがした。もしかして、あの人じゃないか。そう思って手にしたら、まさにあの人だった。

 宛名はたぶん奥さんの手によるものだろう。ひっくり返すと、水仙の薄藍色のボカシの上に「本年四月、夫○○が享年七十二歳にて永眠いたしました」と印字されてあった。

 手打ちそばセットをいただいた茅ヶ崎の人である。数年前に癌が見つかり、以来闘病を続けながら、元気なうちにとむしろ積極的に呑む機会を作っていた。抗がん剤の副作用でスキンヘッドになったが、会うごとに元気さを増すようで、とてもステージ4とは思えなかった。

 最後に会った日を過去のブログで調べたら、2019/7/22になっていた。その日は、茅ヶ崎南口に新しくできた居酒屋で呑んでいる。今年になってからも一緒に呑んだような気がしていたが、錯覚だった。

 コロナ禍で仕事もなく悶々としていた四月五月が明け、外出自粛が解けた六月に、茅ヶ崎で呑もうじゃないかと一度電話を入れてみようと思ったことがある。でも、その電話にもし出なかったらと思って、それが怖くて電話できなかった。喪中ハガキによれば、そのときはすでに二度と会えなくなっていたことになる。

 葬儀の知らせがなかったから、たぶん家族葬か何かで済ませたのだろう。享年72は私より5つ年上だ。いや、そんな年が離れているとは今日まで知らなかった。その人は車を運転しないから、どこへ行くにも自転車だった。テニススクールやスポーツジムにも通い、颯爽としたスポーツマン然としていて、実に若々しかった。だから私は彼のことを同じくらいの歳格好だとばかり思っていた。

 平塚の定時制勤務時代に、「あなたもテニスをやりなさい」と言われてもらったラケットは、とても軽く扱いやすかった。娘が中学のときの必修クラブでテニスを選んだときにそのラケットを娘にくれてやった。だから、あのラケットは今私のもとにない。

 何事にも探究心が旺盛で、あるとき、♪さ霧消ゆる湊江(みなとえ)の♪と歌い出し、この歌のタイトルなんだっけと私に訊いてきた。私は知ったかぶって「早春賦、ですね」と即答したら、彼は、「そうか、ありがとう。長らく判らなかったんだ。助かったよ」とお礼を言ったものだが、赤面、赤面、「早春賦」とは嘘っぱちで、正しくは「冬景色」だと数日後に知った。彼ものちに「冬景色」と知ったはずだが、私が嘘を教えたことを咎めることはなかった。そんな、人を気遣う優しい人だった。

 心から、ご冥福をお祈りします。合掌。

 

【今日の一枚】手作りメロンパン。

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 これは私が作ったのではない。高校の文化祭で売られるはずのパンである。ラッピングされ、高校のシールが貼られている。文化祭当日は、他にもいろんなパンが売られる。また、野菜や乳製品も安く手に入るというので地域の人にはえらい人気らしい。私も一度そこの文化祭に行ってみたいと思うが、いまだに行けてない。

 そこに通う卒業生の妹さんから、「これ、お兄ちゃんが作ったの」と言って、私に持ってきてくれた。ありがとう、お兄ちゃん思いのいい子だね。美味しくいただきます。

 そうか、彼ももう高校2年生になるか。烏兎匆々(うとそうそう)だね。私も歳を取るわけだ。

 

【書】「見聞」けんぶん(No.503)

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 「見ることと聞くこと。みきき。また、それによって得た知識。」(『旺文社漢字典』第2版)

 「見」は、目を主とした人の形。人を横から見た形(儿=じん)の上に大きな目をかき、人の目を強調して、「みる」という行為をいう。見るという行為は相手と内面的な交渉をもつという意味で、たとえば森の茂み、川の流れを見ることは、その自然の持つ強い働きを身に移し取る働きであった。→白川静『常用字解』

 「聞」は、つま先で立つ人を横から見た形の上に大きな耳の形をかいて、聞くという耳の働きを強調した形である。古代の人は耳には、かすかな音で示される神の声を聞く働きがあると考えたのである。→同

 

【タイムラプス】11月5日(木)5:24〜7:08の伊豆長岡の空。25秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1324614724676247552?s=21