いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

背負ふ子に道教ヘられ山したゝる(あ)

 今日は、自治会の各組長さんが集めた区費を預かる日。会計の仕事です。

 午後4時から公民館に待機し、組長さんが届けに来る区費と募金額を預かる。併せて、あらかじめ用意してあった活動助成金を受け取りにきた団体代表者に配って押印してもらう。その中に、去年教えた子のお母さんがいた。私が今年度の会計になったことを自治会広報で知り、「これ、先生だよね」と食卓の話題になったという。

 学区の学校に勤めていると、こういうことはよくあることで、それはさほど気にはならないが、スーパーで買い物をしているときにばったり会ったりすると、なんとなく気まずかったりする。先生という職業の人は何を食べているんだろうという興味津々の目で買い物カゴの中を見られたりすると、変なものは買えないなと構えてしまう。職業柄、なんとも窮屈を強いられて気が抜けない。

 だから私も早く窮屈な暮らしから解放されたいと思うが、他にやれる仕事がないから学校の仕事(支援員)をしている。

 しかし、一旦学校の先生と認知されてしまうと、辞めても「元」がくっついて一生その顔を貫かなければいけないから按配が悪い。教わった側からすると、先生は何歳になっても先生のままのようだし、下手をしたら死んでも先生なのである。

 先生とはちっとも偉くないのに、死んでも偉そうにしなければいけない因果な職業なのである。

 

【今日の一枚】庭のブルーベリーの実。

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 これ、実だよね。花じゃないよね。

 ブルーベリーって、花の形のまんま実になるんですね。

 玄関前にブルーベリーを植えたのは、2013年4月だから7年前。一本だと実がならないと聞いて、翌年隣に新たに苗を植えたが、それでも結実しなかった。

 もう実はダメかと諦めかけていたところ、最初に植えた枝の一箇所に花が咲き、その花がそのまま実になった。いやあ、諦めずに待った甲斐がありました。これで、食いしん坊の孫娘に食わせることができます。

 

【ディジタル俳画】No.5

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 公民館に行ったら、事務室テーブルに雑誌「文藝春秋」5月号があった。表紙に『コロナ戦争』の赤い字が見える。区長さんが、「読み終わったので、どうぞ」と私に勧めてくれた。

 「文藝春秋」は、これまで芥川賞発表号しか購入したことがなく、最近ではその芥川賞発表号も買わなくなった。数年前、作家の中野孝次の謂に思うところあって、余生に読む本は古典だけにしようと決めたのである。その古典にしたって膨大な量だから、到底死ぬまで読みきれるものではないのだが。

 ただ、時にこうして勧められる本は、せっかくのご好意を無にしないようにしている。

 私が今のカミさんと一緒になるとき、多忙で結婚式に出席できないと言ってきた父に代わって、父親代わりを務めてくれた人がいた。その人は私の母の義兄にあたる方で、当時、横浜の団地から霞ヶ関に通っていた。

 結婚のご挨拶に伺ったとき、その方のご自宅のトイレに積まれてあったのが「文藝春秋」だった。「文藝春秋」を手に取るたびに私はその時のトイレを思い浮かべるのである。

 「ありがとうございます。読ませてもらいます」と言って雑誌をパラパラめくったら、ある広告ページにあったこの挿絵が目に留まった。そして、そうだ、こういう絵を描きたかったんだと、家に帰ってすぐにiPad Proに向かった。なんだなんだ、昨日、「描きたくなったら描く」と言った唇も乾かぬうちに、もう描きたくなっちゃってる。もう、どうしようもないね。

 そんなこんなで今回は、絵を描いた後に句をひねった。

 

【タイムラプス】5月9日(土)8:47〜10:49の伊豆長岡の空。30秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10222900105193331/?d=n