午前10時を少し回ったところで散髪に出かける。
前回の散髪が3月24日だったから約2ヶ月ぶり。散髪に行くのは大体このペース。
この床屋さんを見つけたのは2年前の4月8日。以来ずっとそこで散髪してもらっている。お父さん、お母さん、息子さんの3馬力だが、これまでお父さんの姿を見たのは、コーヒーの苗をもらった時の一度しかない。
私を担当するのはもっぱらお母さんの方だ。特にそうと決まっているわけではないようなのだが、私が行くと大抵お母さんが出てくる。そして、私のまだ知らない伊豆のことをいろいろ話してくれ、私は毎回それを聞くのを楽しみにしている。
今日は、4月から晴れて伊豆の国市民になったことを報告し、生まれは青森だと明かした。するとお母さんは、青森は旅行で行ったことがある、五能線に乗った、青森駅前の建物でねぶたを見た、いつか五所川原の立ちねぶたを見てみたいと言い、ひとしきり青森とねぶたで会話が弾んだ。髭を剃ってもらう時以外はずっと話していた。
その中で面白かったのが、なぜ新青森駅周辺には未だに3階建以上の建物が建たないのかというその理由。タクシーの運転手さんが話してくれたところによると、新青森駅周辺が賑やかになると、元の青森駅周辺の活気が衰えるから、なのだそうだ。
しかし、今や新幹線は新青森駅を素通りし北海道まで延びているから、その時点で青森が廃れる運命にはあったわけで。今さら心配したところで、こればれどもなね(こればっかりはどうにもならない)のです。
散髪を終え、家に戻って昼食はカップラーメン。その後、まごころ市場へキュウリとナスの苗を買いに出かける。今日はいつもと違う下の道を通り浮橋を回ってみた。今日通った道を「南條道」というのだと後で知った。
【写真】浮橋の道しるべ。
傾いだ道しるべに「右 南條道」と刻まれている。私はこの南條道の向こうからバイクを走らせてきた。
ホース格納箱に「浮橋区」と見える地区は、田中山と伊豆スカイラインの尾根とに挟まれた盆地一帯を指す。田中山とは富士山のような単体で聳える山の名ではなく、頂上がどこだか分からないもこもこした山塊の名称である。私の家はその田中山から狩野川に下りる麓の高台にある。つまり、私の家から田中山を越えた向こう側の盆地が浮橋ということになる。
以前、山伏峠を越えて熱海の網代までバイクで出かけた時に浮橋の里道を通った。その時、四方を山に囲まれたのどかな田園風景にどこか懐かしさを覚えたものだが、その思いは今日見ても変わらない。いつまでも心に刻んでおきたい原風景がそこに広がっていた。
秋にはここで「そば祭り」が開かれる。浮橋の蕎麦はほとんど世に出回らないから「幻の蕎麦」と呼ばれているという。そば打ちも体験できるというので昨秋は出かける気満々だったのだが、ちょうど孫の世話と重なり思いを果たせなかった。今年は何が何でも出かけてやるの構えで、今から楽しみにしている。
【淡彩画】茅葺の屋根(No.78)
ポイントは「古びた茅葺の屋根はシャープな直線ではなく、揺らぎのある柔らかなタッチを使って描く」こと。
茅葺の民家もまた描きたいモチーフの一つ。伊豆の山里にはこんな茅葺の家がまだ多く残されている、と言いたいところだが、実際はほとんど残っていない。今や茅葺の家をスケッチするには、白川郷(岐阜県)か大内宿(福島県)まで出かけて行くしかなさそうだ。
【あやめ湯】18:36〜19:03(1→3人)
【タイムラプス】5月12日(金)6:04〜8:17の伊豆長岡の空。33秒。
https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10212940824337534/
【歩数】7,133歩。