いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

春雷は狩野川取水口開けず

倍に増えた鍋類をどこに仕舞おうかと考えて、コンロの上に棚を作ることを思いついた。ついでに長男が使っていた調理器具を棚にぶら下げた。

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棚の板はラワン材で、前のオーナーが戸棚にしていたのを解体してキッチンカウンターの便利棚として使っていた。藤沢から持ってきた本棚を新たにそこへ置いた関係で便利棚は不要になり、解体して車庫に立てかけてあった。それを使ってコンロの上に棚を作った。モノが仕舞いきれなくなって表にだんだん出てきたという感じでしょうか。
これで台所周りも片付き、あとは2階和室のガラクタを見えなくすれば引越荷物の整理は完了する。なんとか今週末までにはできそうな見通しになってきた。
それで今度、月末に来るカミさんにすっかり片付いた様子を見せて言うのだ。どうだ参ったか、あれだけ山と積まれた引越荷物を見事片付けたぞ、マジックでもなんでもない、知恵と工夫とアイデアでパッと見えなくしてしまった、どこに何を仕舞ったかも全部言えるぞ、ざまぁみろ。
それでカミさんはどう反応するだろう。ぐふふ、楽しみ楽しみ。(あ)

【写真】狩野川放水路の取水口

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今朝方までの大雨で放水路の取水口が開かれているかもしれないと思って、昼食を外で摂るついでに見に出かけた。そうしたら一晩だけの豪雨くらいでは開けないみたいで、取水口から先の水路は、ところどころ水溜りはあるものの、いつもの乾いた水路だった。
この放水路は、狩野川流域の水害を防止する治水事業の一環として昭和26年に着工されたが、昭和33年、完成を待たずに狩野川台風に襲われ、上流域に甚大な被害をもたらした。放水路の完成はそれから7年後の昭和40年である(wikipedia参照)。
完成してからこれまでにどれくらいの放水があったのか、その回数が気になって調べてみた。そうしたら、2015年3月までに121回あったという(静岡新聞web版2015.8.23の記事)。数える程しかないと思っていたが、121回とは結構な回数です。
いちばん近いところでの放水は、2015年9月10日の台風18号知多半島に上陸した時という。そういえばこの日、あやめ湯でマイ桶氏から放水路が開かれたことを聞かされたっけ。そのことについて触れていないかと過去のブログを覗いてみたが、放水路のことには何も触れていなかった。代わりに、鬼怒川が決壊したこと、順天堂病院前の崖が崩れたことに触れていた。
私はまだ放水されたところを見たことがない。見ないに越したことはないが、でも一度は見てみたい気持ちもある。それで今日出かけたのだったが、残念ながら見ることはできなかった。

【淡彩画】出窓、煙突のある民家(No.70)

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ポイントは「煙突や出窓、屋根や軒先など各部分の形がどういう角度で見えているのかをよく確かめながら描く」こと。
よく確かめながら描いたつもりが、いつの間にか屋根の棟が紙の上辺とほぼ平行になっているのに気づき、消して右下がりに描き直した。

【あやめ湯】17:55〜18:32(3→5人)

【タイムラプス】4月18日(火)7:07〜9:37の韮山方面の雨空。37秒。

【歩数】1,624歩。