いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

紅深く雨滴るや実万両

大仁・一二三荘(17:07〜17:38)3→2人。

20日はあやめ湯の定休日。出勤日ならば職場近くの長岡南浴場へ回るところだが、今日は日曜とあって久しぶりに一二三荘へ行った。

午後4時55分に家を出る。一二三荘までバイクで12分。旧下田街道を走るが、大仁小学校前から大仁駅入口まで上り車線が結構混んでいた。行楽帰りの車が国道136号線(下田街道)や修善寺道路(有料)の渋滞を避けて旧道へ回ってきたのだろうか。

行楽帰りの渋滞と言えば、東伊豆を走る国道135号線の渋滞は半端じゃない。神奈川へ戻るには基本的にこの一本の道を通るしかなく、抜け道がないから休日は慢性的に渋滞する。義父が生前の頃、カミさんの運転で、義父と子ども3人と伊豆熱川に遊びに行ったことがあったが、帰りに大渋滞に巻き込まれ、えらい目にあった。宇佐美から出口の早川までずっと数珠つなぎで、あれで義父は体調を崩し、その後入院した。以来、車で東伊豆へ行くことはなくなった。

今から25年ほど前になるだろうか。私は、同じ135号線沿いにあった湯河原の学校に勤めたことがある。その当時の同僚に伊豆から通ってくる人が10人ほどいて、いちばん遠い人は伊豆高原から通っていた。へええ、そんな遠くからでも通えるんだと驚いたものだが、今こうして伊豆で暮らしてみると、通えなくはない距離だということが分かる。

伊豆高原の人は家族がペンションを経営していて、休みの日は泊まり客にギターを弾いて聴かせると自慢していた。伊東から通っていた人は、住んでいた中目黒のマンションを売って一碧湖畔近くに別荘を買い、そこから通っていると言っていた。また、宇佐美の人は農業に憧れ、広い土地を求めて横浜から移住してきたと言って、いつも『現代農業』を読んでいた。

なるほど伊豆に安い土地を求めて、そこから通うのも悪くないなと、その人たちの話を聞いて思った。もしかしたら伊豆に住みたいという思いは、その頃からくすぶり出していたのかもしれない。ただ、その後直ぐに藤沢に分譲マンションを買い、勤務先も平塚になったことで、いつのまにか伊豆のことは頭から離れていったけれど。

それが再びくすぶり出したのは、定年後のプランを考えている時である。

まず、定年後は故郷青森に戻るかと考えた。しかし、住む家を新たに建てなくてはいけないことと、神奈川から出たことのないカミさんが雪国の青森に住むことを(濃い親戚付き合いも含めて)承知してくれるかという難点があった。これをクリアする算段がつかず、結局、青森に戻ることは断念。次に、阿武隈の沢の流れる土地で山羊を飼って暮らすことを考えた。ところが、あの原発事故で、これまた断念。阿武隈がダメなら山形はどうよと考えて西瓜農家を見に行ったりもしたが、今一つ決定打が見出だせない。そうしてふらふらしているところに、今の伊豆の家の話が飛び込んだ。それまで駅から遠いところばかりで家屋もだいぶ傷んでいる物件ばかり見てきていたので、駅から歩けるし、傷みも自分で修繕できる範囲だし、予算的にも手頃と判断して即決した。カミさんには事後報告。事後報告だけど、東伊豆のように大渋滞の心配はないし、買い物に不便はないし、温泉はあるし、富士山は見えるし、ということで承知してくれる自信はあった。

今はマンションの売却も決まり、いよいよ伊豆へ完全移住する運びとなったが、総じて、こういう結果になったことはよかったのではないかと思っている。

タイムラプスは、11月20日(日)6:33〜8:42の伊豆長岡の空。

2階のデッキに出ると、富士山方面は乳白色の雲が垂れこめていた。韮山方面の方が雲の動きに変化があって面白そうかなと思い、最初そっちへカメラを向けようとしたが、いやいや、もしかしたらひょっこり富士山が現れるかもしれないと期待していつもの向きにセッティングした。これがみごとに当たった。おかげで今日のタイムラプスは、これまで撮影した中で最高傑作といってもいいくらいの映像になった。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/1255235944534280/

写真は、雨に濡れたマンリョウ

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この赤い実をままごとに摘んでいた孫は、夏の花火大会以来、伊豆へ遊びに来ていない。(あ)

1,577歩。