いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

渋谷の労働基準監督署

私が最初に勤務した職場は横浜市戸塚区(現在は泉区)にあり、横須賀のカミさんの実家から私鉄を乗り継いで通っていた。当時、カミさんの実家はアパートを経営していて、近くの大学の学生さんや、横須賀の海上自衛隊に勤める人が部屋を借りていた。10分ほど歩いたところにアサリの獲れる海岸があって、潮干狩りの時期には、オムツの取れない長男を乳母車に乗せてアサリ掘りに出かけたりもした。
長男のオムツが取れた頃、ほどなくして我々家族は平塚に新築された職員アパートに引っ越した。平塚に引っ越すまでの間、長男は初孫ということもあって、亡くなった義父や今年92歳になる母には随分と可愛がってもらった。長男も義父母に懐いて、近所の駄菓子屋でお菓子やおもちゃを買ってもらったりしていた。高校生になってからも、親のあずかり知らぬところで小遣いをもらったりもしているようだった。初節句のときに買ってくれた立派な五月人形は、今も伊豆の押入れに大切にしまわれてある。
その長男が、今年の6月になって、突然、祖母の家から東京の職場に通いたいと言い出した。職場は原宿にある小さなレストランで、知人の紹介で6月から店長として働くことになっていた。藤沢から通うという選択肢もあったが、本人はなぜか祖母の家から通うことにこだわった。もしかしたら、自分もやっと一つ店を任されることになり、そのことを世話になった祖母に見せたかったのかもしれない。
随分張り切っていたことは確かだが、店長といえどそれは名ばかりで、厨房もホールも全て自分で行う過酷な勤務状況だったようだ。休みなしの働き詰めで、貧血を起こして意識がなくなったことも数回あったという。弱みを見せたくない思いでこれまで持ち堪えて来たが、先週、とうとう出勤できなくなってしまった。過重労働ももちろん問題だが、一番の問題は、オーナーの身勝手な言動が我慢の線を越えてしまったことにあると思っている。出勤できなくなったのはひとえにオーナーに原因があるという思いは、今日、労働基準監督署へ行って改めて強く感じた。渋谷の監督署からの帰り、オーナーに長男を紹介したコンサルタント辻堂駅前の広場で5時間ばかり話をしたが、話は堂々巡りで埒が明かない。午前0時を回ったところで切り上げ、続きを明日午後3時に江ノ島にあるコンサルタントの店で話すことにした。が、私の思いは変わらない。道理に合わないことを認めるわけにはいかない。3,967歩。
写真は、渋谷駅前のスクランブル交差点。この交差点を渡るのは一年ぶりだ。この奥にセンター街が見える。学生時代はよくこの界隈を飲み歩いたものだった。5時間も話す中身のない話(あ)
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