いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

山寺のここはどこかと秋の雨(あ)

 その山を越えると、あとは真っ逆さまに駿河湾に落ちる尾根に古刹がある。

 昔は大江戸との往来でずいぶん栄えた由だが、今は見る影もない。そこに秋の雨が降る。どこかもの寂しい。

 ピクニックに出かけるにはわりと手頃な山で、ロープウェイも走っている。頂上にトイレがあって、友が伊豆を訪ねてきたとき、ここでインスリンの注射をちくりと刺したことがある。インスリンの注射は今も打っているが、日進月歩のおまじない注射も今のは痛くも痒くもない。患者にとことん優しくできている。我ながら、こんなに優しくていいのかしらと思うくらい。ただし、持ち帰るゴミは多くなった。

 あれから10年が経ち、今は独り老後を楽しんでいる。カミさんは神奈川・横須賀の実家に転がり込み、悠々自適の老後生活を謳歌している。それもよし。無理して伊豆で一緒に暮らすこともない。それはその通りなんだが、でも、どこか寂しい。秋の雨がしとしと降るせいでもないらしい。

 

【書】『徒然草』第百七十段(刊・正保2年)模写&訳(吾妻利秋)

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たいした用事もなく人の所へ行くのはよくない。用事があったとしても長居は禁物だ。とっとと帰ろう。ずるずる居るのは鬱陶しい。人が対面すれば自然と会話が多くなり疲れる。落ち着かないまま、全てを後回しにして、互いに無駄な時間を過ごす羽目になる。内心「早く帰れ」と思いながら客に接するのも良くない。嫌なら嫌と、はっきり言えばいいのである。いつまでも向かい合っていたい心の友が、何となく、「しばらく、今日はゆっくりしよう」と言うのは、この限りではない。阮籍が、気に食わない客を三白眼で睨み、嬉しい客を青い目で見つめたと言う話も、もっともなことだ。特に用事が無い人が来て、何となく話して帰るのは、とても良い。手紙でも、「長いことご無沙汰しておりました」とだけ書いてあれば、それで喜ばしい。

 

【昭和の風景】津軽弁

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「どごもかも えっぺで まねじゃ。」(どこもかしこも いっぱいで ダメです。)の意。

 

【タイムラプス】令和7年10月31日(金)7:59〜10:38の伊豆長岡の空。39秒。

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どうしても勝てないのです草相撲(あ)

 何をやっても勝てない奴はいるもので、走ってもダメ、相撲をとってもダメ、何をやっても負けてばかりいた。その劣等感が小学校から中学校まで続いた。でも今思えば、そいつがいてくれたお蔭で天狗にならずに済んだともいえる。

 知らずしらず、劣等感に苛まれ、何をやってもダメだという気持ちが強くなった。何かをやったとしても達成感を味わえなかった。

 高校が離ればなれになって、そいつが思い出のなかのヒーローとして浮かび上がるだけの存在になったとき、それがわたしの一つの転機になった。わたしのなかにわだかまっていた何かがはじけて燃えさかった。もしかしたら、わたしはそうなるのを密かに待っていたのかもしれない。

 以来わたしには過去を振り返る余裕なんてなかった。ひたすら前を向いて突き進むしかないと思った。そして、そうしてきた。そうしたら、自分の行く末をさまたげる存在なんて、どうでもよいちっぽけなものに思えてきた。

 残された人生を楽しく生きよう。与えられたたった一つの命だもの。

 

【書】No. 2,244『徒然草』第百十八段本文(刊正保2)模写&訳(吾妻利秋)

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鯉こくを食べた日は髪の毛がボサボサにならないという。鯉の骨は接着剤の材料になるからネバネバしているのだろうか。鯉だけは天皇の目の前で調理しても問題ない大変ありがたい魚である。鳥で言えばキジが一番リッチだ。キジやマツタケは皇居の台所にそのままぶら下がっていても見苦しくはない。その他の食材は、汚らわしく見える。ある日、中宮の台所の棚にカリが乗っているのを、お父様の北山入道が見て、帰宅早々、手紙を書いた。「カリのような下手物が、そのままの姿で棚に乗っているのを見たことがない。世間体が悪いことである。一般常識を知っている者が近くにいないからこうなる」と意見した。


【昭和の風景】No.944 津軽弁

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「今日だば つぎねふて。」(今日は 運が悪くて。)の意。

「つきなし」は、古語にもでてくる。辞書(旺文社『全訳古語』ディジタル第4版)には、「①とりつきようがない。てがかりがない。②似つかわしくない。ふさわしくない。」と出てくる。こうしてみると、津軽弁には古語の意味が幾分かまだ残っているのかもしれない。


【タイムラプス】令和7年8月31日(日)の伊豆長岡の空。圧縮22秒。

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やたら魚やたら食いたし秋の暮(あ)

 最寄りスーパーで即席ラーメンを探す。探すまでもない。いちばん目につくところに山と積まれている。 

 そこから「明星チャルメラ」を探す。すぐに見つかった。

 「明星チャルメラ」が1966年に新発売されて以来ずっとホタテだしが使われていたことを今回初めて知った。2025年、つまり今年、リニューアルで麺にもホタテだしが練り込まれ、北海道産ホタテ100%使用だしが完成したという。どんな味になったんだろう。

 興味津々で食したが、やはり炭水化物に変わりはなかった。摂るほどに糖尿が悪化する。

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 その昔、わたしの生まれ育った寒村の浜は、養殖ホタテの貝殻で一面まっ白になった。実り豊かな浜がホタテで無惨に破壊されたと思った。

 

【書】『徒然草』第百六十九段(刊・正保2年)模写&訳(吾妻利秋)

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「何々のしきたり、という言葉は、後嵯峨天皇の時代までは言わなかった。最近派生した単語のようだ」と、ある人が言っていた。しかし、建礼門院の右京大夫が後鳥羽天皇の即位の後、再び宮仕えして、「世の中のしきたりは何も変わっていない」と書いていた。


【昭和の風景】津軽弁

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「なんど どごさ いぐだば。」(あなたたちは どこへ 行くんですか。)の意。


【タイムラプス】令和7年10月30日(木)7:36〜10:49の伊豆長岡の空。23秒。 

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秋の夜や寡黙の父と交わす酒(あ)

 それでなくとも寡黙な父が口を開く。

 父もわたしに似て「男は黙って」の口だが、それって逆で、わたしが父に似たのかもしれない。

 順番はどうでも、最近「腰を抜かす」ことが多くなった。きょうもデッキの床板をぶち抜いてバランスを崩した。

 「腰を抜かす」とは、①腰の関節が外れたり、腰の力がなくなったりして立てなくなる。②驚きや恐れのために立ち上がれなくなる。と『大辞泉』(電子辞書)にある。もちろん今回は①の意。

 デッキの床板を踏み抜いて、立ちあがろうとしたが立ち上がれない。これはショックだった。辞書の意味で言う「腰の力がなくなった」らしい。昔ほどに体を動かせなくなった、ということだ。これは老化現象に違いない。ということは、どうあっても治しようがない。

 バイクで転けるどころの騒ぎではない。そうと知って電動ノコギリでの梅ヶ枝の剪定を取り止めた。電ノコで自分の生身を切り刻みかねない。

 気を取り直して下の狩野川に降りたら、土手道を自転車で塞いで若い男女が富士山の写真を撮っていた。わたしもつられてパシャ。これからは富士山が最も輝かしい季節になる。

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【書】『徒然草』第百六十八段(刊・正保2年)模写、訳(吾妻利秋)

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一芸に秀でた老人がいて、「この人が死んだら、この事を誰に聞いたらよいものか」と、言われるまでになれば、年寄り冥利に尽き、生きてきた甲斐もある。しかし、才能を持て余し続けたとしたら、一生を芸に費やしたようで、みみっちくも感じる。隠居して「呆けてしまった」と、とぼけていればよい。おおよそ、詳しく知る事でも、ベラベラと言い散らせば小者にしか見えず、時には間違えることもあるだろう。「詳しくは知らないのです」とか何とか謙虚に言っておけば本物らしく、その道のオーソリティにも思われるはずだ。ところが、何も知らないくせに、得意顔で出鱈目を話す人もいる。老人が言うことだけに誰も反撃できず、聞く人が、「嘘をつけ」と思いながらも耐えているのには、恐怖すら覚える。


【昭和の風景】津軽弁

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「わがねばて どがこが なたね。」(判んないけど どうにかこうにか なりました。)の意。

 黒い影の中にぽつんと白が浮かぶ絵、好きで描いてます。


【タイムラプス】令和7年10月29日(水)8:28〜14:19の伊豆長岡の空。28秒。

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グラウンドゴルフステッキ秋麗(あ)

 グラウンド・ゴルフは楽しい。

 招待されてプレイするうちに、だんだんハマってきた。まだ「下手の横好き」だけど、これからも長く続けられそうだ。外へ出て運動するのが楽しくなる。

 特に、旗の土台の芯にボールが当たると、カコーンと小気味良い音を鳴らす、あの音がいい。澄み切った秋空に、なんとも心地よく響き渡り、日頃のうさも何処かに吹き飛ぶ。


【書】『徒然草』第百六十七段(刊・正保2年)模写、訳(吾妻利秋)

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ある専門家が、違う分野の宴会に参加すると、「もし、これが自分の専門だったら、こうやって大人しくしていることも無かっただろう」と悔しがり、勘違いすることがよくある。何ともせこい心構えだ。知らないことが羨ましかったら、「羨ましい。勉強しておけば良かった」と、素直に言えばいい。自分の知恵を使って誰かと競うのは、角を持つ獣が角を突き出し、牙のある獣が牙をむき出すのと一緒である。人間は、自分の能力を自慢せず、競わないのを美徳とする。人より優れた能力は、欠点なのだ。家柄が良く、知能指数が高く、血筋が良く、「自分は選ばれた人間だ」と思っている人は、たとえ言葉にしなくても嫌なオーラを無意識に発散させている。改心して、この奢りを忘れるがよい。端から見ると馬鹿にも見え、世間から陰口を叩かれ、ピンチを招くのが、この図々しい気持ちなのである。真のプロフェッショナルは、自分の欠点を正確に知っているから、いつも向上心が満たされず、背中を丸めているのだ。


【昭和の風景】津軽弁

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「てん くたきゃ はらあんべ おがし。」(ところてんを 食べたら 腹の調子が 悪い。)の意。

 先日、夜中にお腹の調子がおかしくなって、トイレに駆け込んだ。

 レトルトのシチューを食ったからかなあ。

 あの時ほど漢方薬がほしいと思ったことはない。正露丸の、あの独特の臭いがたまらない。


【タイムラプス】令和7年10月28日(火)8:11〜11:57の伊豆長岡の空。26秒。

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秋深し隣の犬の吠える声(あ)

 南隣家の犬がやたら吠える。

 市の流す同報無線に反応し、サイレンに合わせて遠吠えする。

 なぜそうするかは判らない。隣の奥さん曰く、もともとそういうDNAが組み込まれているのではないか、とのことだった。要は、奥さんにもよく判らないらしい。

 隣の犬は、来てからだいぶ経つのに、まだ隣の主人の顔を見ると吠えたてる。顔を知った来客にも吠える。庭の落ち葉を拾うにもうるさくて敵わない。吠えていい奴とそうでない奴の区別ができない。番犬としては優秀なんだろうが、馬鹿なのか利口なのかよく判らない。これじゃ飼い主も弱ってるんじゃないかと思いきや、そうでもないらしい。「やかましいよ、おめえはよ」と言いながら、甲斐甲斐しく犬の世話を怠らない。きっと犬好きなんだろうな。

 こういう人にこそ地区のまとめ役をやってほしいが、そういう人に限って頑として引き受けない。それが不思議だった。なり手がいなくて困っている現状も十分把握しているが、わたしは器じゃないと引き受けない。どうせ一年こっきりなんだから引き受けても良かろうもん。みんなでやろうよ。

 

 【書】『徒然草』第百六十六段(刊・正保2年)模写、訳(吾妻利秋)

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世間の営みを見ると、ある晴れた春の日に雪だるまを作り、金銀パールで飾って、安置する堂を建てるようなものだ。堂の完成を待って、無事に安置できるだろうか。今、生きていると思っても、足下から溶ける雪のような命である。それでも、人は努力が報われることを期待しているようだ。


【昭和の風景】津軽弁

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「そへば ではるがー。」(それじゃ 出ましょうか。)の意。

 

【タイムラプス】令和7年10月27日(月)15:50〜17:58の伊豆長岡の空。35秒。

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やっとこさ夕日を撮ることができた。秋の日は釣瓶落とし、というくらいあっという間に暮れる。実際の夕焼けは画面のもうちょっと左寄りなんだけどね。

 

運のない人のそぞろの夜寒かな(あ)

 わたしは運がいい方だと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。

 たぶん、どちらかといったら運が悪い方だ。

 金もない。おまけに酒飲みときた。だから、みんな近寄ってこない。

 大して面白いことを言うわけでもないし、こんな奴と一緒にいたって、ちっとも楽しくない。第一、生産性がない。この人といて自分のためになるかならないかを目論む。そして、目論見から外れたらきっぱりと切り捨てる。こんな奴とつきあってたら時間の無駄だ。

 それは判っている。こっやって何度も友人を失ってきた。でも、こればかりはどうにもならない。ひとつ面白いことを言って場を和ませたいと思っても、その面白い話が出てこないのだからどうしようもない。

 話術が不足しているのかと思って落語の勉強をしようとしたこともあったが、どんなに「寿限無」を誦じても、話の先が見えて、我ながらちっとも面白くない。で、そのうちあれは「芸」だと思って止めた。誰にもできるもんじゃない。その人でなければできない技なんだ。その人が座布団に座っただけで笑いを取るようでなくては本物ではない。わたしには、その本物がない。そう悟って止めた。

 で、絵を描くことにした。描くことが好きで好きで溜まらないというほどではなかったが、昔、漫画家になろうとしていた自分を思い出した。第二の人生を歩むに当たり、ライフワークになるようなものはないかと考えて、考えたら漫画に至った。ちょうどパソコンが普及し、タブレットとペンシルが手に入って飛び付いたといった感じかな。

 パソコンの周辺機器を使うことによって何度描いてもたちどころに消せるところがいい。でも、どんな技術でもそうだけど、使えばもっと使いたくなって、いろんな絵をどんどん描くようになった。いろんなのを描いているうちに、自分の好みも薄々判ってきた。わたしは墨絵のようなものをディジタルで表現したいのだ。

 やって楽しいからやる。それでいいんじゃないの? 今は、そう思っている。


【書】『徒然草』第百六十五段(刊・正保2年)模写、訳(吾妻利秋)

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東京の田舎者が京都の人にまみれたり、京都の人が関東の片田舎で立身出世したり、所属している寺や本山を飛び出した天台宗・真言宗の僧侶が、自分のテリトリーではない世界で、俗世にまみれているのは、みっともないだけだ。


【昭和の風景】津軽弁

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「あこのでぐ までだや。」(あそこの大工さん 細かい所まで慎重だよ。)の意。


【タイムラプス】令和7年10月26日(日) 保存し忘れた。