いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

旨しもの喰ひたし里の冬支度(あ)

 今年のとうもろこしも終わりだとばかり思っていたら、どっこいまだスーパーの安売りカゴに並んでいたりする。衣の皮はだいぶ乾いてきているが食えなくはなかろうと思って買って来た。どことなく老人の肌のようでぱさぱさしてて艶がない。けど、覆っている皮をはがすと、もじゃもじゃと柔らかい髭につつまれて黄色い粒がぴちぴち並んで現れる。1枚目の薄皮を数枚残しラップにくるんでチン。

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 ラップでくるむと調理がこんなに楽だとは知らなかった。そのことをもっと早く知っていれば、旬のとうもろこしをもっとがつがつ食えたのに…残念。知るのが遅すぎた。知らなかったが故に損をしていることって、とうもろこし以外にも、もっとあるかもしれない。

 でもいいさ。安く食うのが目的じゃないから。旨く食えれば、それでいいのよ。安い高いは二の次三の次。

 

【書】『おくのほそ道』54(仙台1(No.1,911)

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「名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿を求めて四五日逗留す。爰に画工加右衛門と云ものあり。聊心ある者と聞て、知る人になる。この者、年比さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の気色思ひやらるゝ。玉田・よこ野、つゝじが岡あせび咲ころ也。」(訳:名取川を渡って仙台の城下町にはいった。折から端午の節句の前日、五月四日で、軒にあやめを挿す日である。宿屋を求めて四、五日逗留した。ここに画工加右衛門というのがいるが、なかなか風流を解するものだと聞いて、知人となった。この加右衛門が「この地の名所として古歌などにいわれながら、実は従来はっきりしない所を、年来調査しておきましたから、ご案内しましょう」と言って、ある日案内してくれた。宮城野という古歌に出てくる名所へ行ったが、なるほど萩の盛りのころは、見事だろうと思われた。町の東の方の歌枕の玉田や横野を見、ついでつつじが岡にまわったが、ここは古歌にあるとおり、馬酔木の花の咲くころが趣深いことと思われた。)

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 仙台で芭蕉を案内する人が突如現れた。それは突如でも何でもなく、実は最初から仕組まれたことだったように思われる。芭蕉が仙台に行ったら行ったでちゃんと世話する人が待っていたと考えた方が自然だ。偶然がそうそう何度も続くはずがない。


【昭和の風景】津軽弁(No.601)

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絵手紙。「がっぱど もてげ。」

「たくさん 持って行って。」の意。

 高校時代、部活の後輩に「がっぱ」という渾名の子がいた。小柄ながら足が早く、スタミナがあって、試合になると相手から点を大量に奪ってくる点取り屋だった。そのことを思い出した。今どうしてるかなあ。


【タイムラプス】令和6年9月24日(火)6:59〜9:57の伊豆長岡の空。21秒。

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