いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

駅前に夏を迎えて人魚像

夕方、平塚で元同僚二人と呑む。場所はいつもの居酒屋「海楽人」。からっと、と読む。平塚でアパート暮らしをしているときに、同じアパートに住んでいた元同僚(今回のメンバーではない)の息子さんが営んでいる店で、須賀港にほど近いところにある。駅からは歩いて25分と遠いが地元の常連客で結構賑わう。今日もカウンター、テーブルともに満席(13人分)だった。

先月下旬にも同じメンバーで呑んだ。そのときのノリで呑み会を月例にしようと話がまとまり、今日の集まりになった。月例だから来月も再来月もやる。だから今日呑み切れなかった2本目の焼酎のボトルは店にキープしてもらった。

メンバーの最年長は来春3月に古稀を迎える方。柄谷行人をじっくり読みたいと早期退職した変わり種で数学を教えておられた。読書家で博学多識で会っていつも刺激をもらう。お母さんが信州にご健在で、これまで自宅で介護していたが、この3月で手を放れたので割と自由が利くようになった。それで呑み会を月例にしようとなったわけです。

9,884歩。

写真は、平塚駅南口にある人魚の像。1962年に別のところに建てられ1970年にここへ移されたという。私が平塚のアパートに住んだのは1983年からだから、その頃には既に今のところにあったはずだがなぜか記憶にない。横浜までの通勤には西口を使い、茅ヶ崎に転勤してからは自転車で通勤していたから南口を使うことはほとんどなかった。だから記憶にないということはあるかもしれない。しかし、よく呑みに行った焼き鳥屋は南口にあったし、平塚から今の藤沢に引っ越してからも平塚西海岸の知り合い(今回のメンバーで来春古稀を迎える)の家を訪ねるときは南口から出るバスに乗ったのだから、少しくらいは記憶に残ってもいいはずだ。それがまるで記憶にない。見ているようでちっとも見ていない。

この人魚の像に限らず、これまでの人生の中で見落としてきたもの、目にしているはずなのに意識されなかったものはどれほどあるのだろう。きっと計り知れないほどあるに違いない。そしてそれはこれからもある。何を見て何を見ないか。これからはそのことを意識して己の欲するところに従って生きていけたらいいと思う。(あ)

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